『プラトンの四大著書を1時間で読む』!




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「ギリシャの偉大な哲学者」



 ソクラテスはギリシャを代表する哲学者です。彼の考え方・生きざまはどのようなものであったのでしょうか。残念ながら彼は著書を残していないためそれを本人から直接知ることはできません。しかし、プラトンがそれを弟子の目から見て書き残しています。ここでは、プラトンの四大著書を 読み、ソクラテスについて理解していきましょう。
 プラトンの四大著書とは『ソクラテスの弁明』『パイドン』『クリトン』『饗宴』の四つです。 ここでは、それらをを紹介しています。これらはには、ソクラテスの裁判の様子、死刑が確定したあとの彼の考えや行動、牢獄での会話、またある時の愛についてのソクラテスの話などが書かれています。彼を知るための「入門書」とも言えます。是非、読んでみて下さい。




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『ソクラテスの弁明』(プラトン)


  1 裁判の様子

  アテネのみなさん、今の私(ソクラテス)に対する訴えを聞いてどのように思いましたか。彼らの話し方はとてもかろやかで、私さえも我を忘れていつのまにかその話に引き込まれてしまうほどでした。しかし、みなさん、だまされてはいけませんよ。その話の中身はすべてうそです。たとえば、私が言葉を巧(たく)みに使って人をだましたと言っていますが、そのようなことを私は今まで一度だってしたことはありません。第一、私の話を聞いて、私が人を言葉でだませるほどの雄弁家(ゆうべんか)だと思う人など一人もいないと思います。

  私は、今年で70才を超えました。この年になって、初めて法廷(ほうてい)という場において話をすることになったのです。私はこの場所において使わなければならない言葉など何も知らないので、普段使う言葉で話をすることしかできません。そのようなことを十分承知(しょうち)したうえで、どうか今からの私の話を聞いて下さい。私に対する判決は、私の話の内容だけで判断して行ってください。お願いします。それでは今から私への訴えに対する弁明を行います。

  私に対する訴えには、はるか昔からずっと私に対して言われ続けてきたものと、最近になって新たに言われ始めたものとの二つがあります。まず、前者つまり昔から言われ続けてきた訴えに対する弁明から行います。

  その訴えの内容とは、「ソクラテスは、悪いことを善いことだと言って人をだます人間だ」とか「ソクラテスは、神を信じない悪いやつだ」というものです。私は、この訴えに対しては、すごく恐れを感じています。なぜかというと、このうわさはあなたがたの多くが小さかった頃から言い続けられてきたことだからです。あなたがたが影響を受けやすい幼いころから何度も何度も聞かされ続けてきて、あなたがたはそれが当然正しいことだと洗脳(せんのう)されているのではないかと心配するからです。そのうえさらにこのことは、誰がどんなきっかけで言い出したことか分からず、それが間違いだと言うことを証明するのに私はどのようなことをすればいいのか全く見当がつかないからです。

  それはともかくとしてまず、この訴えが書かれた訴状(そじょう)の代表的な部分を読み上げてみましょう。「ソクラテスは不正を行い、無益なことを行う。彼はいろいろなことを探究しているが、実際は悪いことをねじまげて、善いことだと言って、意図的(いとてき)に人々を間違った方向に導いている」と、このように書かれています。
  ところで、アリステファネスという喜劇作家は、ソクラテスを「空を飛べると自分で言いふらしているうそつきな人間だ」と書いています。ただ、これは小説の中での創作(そうさく)であり、文学作品として語られたことで、たとえうそであっても許されることです。しかし、そのことが真実だとしてこの訴えに書かれていることには驚かされます。私がそのようなありもしないうそを実際に言うことなどあるはずがありません。そんな人間でないことは、私と実際につきあい、話をした人なら誰でも分かっているはずです。それがうそでうわさにすぎないことを、どうぞ本当のことを知っている人がいるのならみなさんに話してあげて下さい。

  また、「ソクラテスは、人々に教えまわっては謝礼金(しゃれいきん)を要求している」というのも全く事実無根(じじつむこん)です。なにも私は私以外の人が、謝礼金をもらって人々に教えることを悪いことだと言っているわけではありません。事実、そういう人々の中には立派な人もたくさんいます。しかし私は、自分はお金をもらってまで人に教えることのできる力を持ち合わせているとは思っていません。だから、人にお金を要求したことなど一度たりともありません。
  それなら、みなさんの中には、「いったい、ソクラテスはどんな仕事をして生活費をかせいでいるのか。あなたのこの悪い評判はどこから起こったのか。もし、ソクラテスが普通の生活をしていたらこんな訴えなんて起こるはずがない。どうかちゃんと説明してくれ」という人も多くいるではないでしょうか。その疑問についてお答えしましょう。今からお話しすることには、ひょっとしたらみなさんは大きな怒りの感情をもつかも知れませんが、どうか最後まで静かに聞いてください。

  みなさんの疑問に対する答えとは、一言で言えば、私が人間としてひじょうに賢いからこれらの悪い評判が生じたということなのです。私が賢いということは、デルフォイの神の神託(しんたく)ですので間違いなどではありません。
  実は昔、私の友人がデルフォイの神殿の巫女(みこ)に「この世にソクラテス以上に賢い人間はいるのか」と尋ねたそうです。するとその巫女は「ソクラテス以上に賢い人間はこの世にいない」と答えたとのことでした。これはうそではありません。このことを証明する人間は、ほかにもたくさんいますので真実です。私は、彼からそのことを聞いて驚きました。全くと言っていいほど賢くもない私を、なぜ神は最高の賢者であると言ったのであろうかと。しかし、神がうそを言われるはずがないので私は最高の賢者なのであることは間違いありません。そこで私は次のような方法を思いつき、この神のお告げが真実であるかどうかを確かめてみることにしました。その方法とは、この世の中で今、賢者と呼ばれている人々のところを訪ね、自分より賢いかどうかを確かめるということです。

  まず私は、多くの人々から賢者と言われている、ある有名な政治家のもとを訪れました。そして、彼と対話してみました。なるほど多くの人が賢者と呼ぶだけのことはあって、彼は多くの知識を持っていました。また、彼自身も自分を賢者であると信じているようでした。しかし、私は彼が賢者であるとは思えませんでした。それで私は彼に「あなたは決して賢い人間ではないですよ」と告げました。すると、彼とそこにいた人たちは一斉に私に対して憎しみの感情を向けました。しかし、私は本当のことを素直に述べただけなのです。

  それではみなさん、なぜ私は彼が賢者でないと考えたと思いますか。その答えは次のとおりです。確かに彼は、政治的なことをはじめとして多くの知識を持っていました。しかし、私も同じなのですが、彼は善とか美については、それがどのようなものであるのかを答える力は持ち合わせていませんでした。それなのに、彼はこれらのことについても自分は知っていると思いこんでいました。ところがそれに対し、私は善や美とはいかなるものであるかを何も知らず、何一つ答えることができないことをしっかりと自覚しています。つまり、私は自分が何も知らない人間であるということをよく知っているのです。ほんのわずかですが、自分が無知な人間であることを知っている分だけ、自分の無知を自覚していない彼よりも知恵があると言えるのではないかということです。それに気がついていないということは、彼は私より賢くないということなのです。

  それからというもの私は、この政治家以外にも多くの人から賢者であると言われている人々のもとを訪ね歩きました。しかし、その結果はすべてこれと同じでした。そのようなことを繰り返したために、私は多くの人々に憎しみの目で見られるようになりました。それでも私は、神のお告げを確かめるために、それからもそれ以外の多くの識者(しきしゃ)・賢者のもとを訪ね続けました。しかし、どこへ行っても「あなたは決して賢くはないですよ」と同じ事を言わなければならなかったのです。そのため、私はさらに多くの人々に憎まれるようになっていったのです。
  さらに私は、すばらしい技術を持っていると言われている職人のもとも訪ねてみましたが、やはり結果は同じでした。彼も、その道では彼よりすぐれているという人がいないほど、その技能はすばらしいものでした。ただそれゆえに、彼は自分がすべてにおいてすぐれていると、間違った考えを持っていたのです。
  私は彼らのようにうぬぼれた、自分が何も知らないということに気づかない人間にはなりたくありません。自分の無知を自覚しているひかえめで素直な人間であり続けたいと思いました。

  このようなことを続けた結果、ソクラテスは賢者であるという評判が広まりましたが、一方で私を非難し攻撃する多くの敵も生み出したのです。そのような状況になったのも、私が彼らに無知を知らせるとき、自分は賢い人間であると言わざるをえなかったからです。おそらく、このことが人々の反感をかったのだと思います。
  ただ、自分が賢い人間であると言ったのはあくまでたとえ話であり、人間の中に賢者などいないことは私にもよく分かっています。神のみが知恵を持っているのであってわれわれ人間の持っている知識などはそれに比べればないにも等しいものです。神はそのことを「人間の中における賢者とは、自分が無知であると自覚しているソクラテスのような人間である」という言い方で示したのだと思います。

  私はこの神託を受けとってしまったがゆえに、賢者といわれている人を見つければ彼らと議論を行い、彼らが誤った考えを持っていると分かったならば、決して許すことなく彼らを正していかなければならないという使命を背負ったのです。このような活動をすることが神から神託を受けた者である私の責任だと考えています。それゆえ、私は仕事をすることもできずこのような貧しい生活を続けているのです。

  ところで、暇をもてあましている金持ちの市民の息子たちが私のこの行動を見聞きし、私をまねて賢者と呼ばれる人々をつかまえては議論をするようになったそうですね。彼らはそのことを通して、自分では何でも知っていると思いながら真理については何も知らない人たちがいかに多いかを知るようになったとのことです。私はとてもいいことだと思います。
  ところが、そこで若者たちに問いただされた人々は恥をかかせられたとして、そのはらいせを「ソクラテスは青年たちを腐敗(ふはい)させている」と言って私に向けるようになったのです。当然その訴えは、何の根拠もないものですので、彼らに問いただしても何も答えられませんでした。そこで彼らは、さらに、哲学者に対する一般的な非難(ひなん)である「ソクラテスは神を信じてはならないと言い、善いことをまげて悪いことだと言って人をだます」という新たな訴えを持ち出したのです。彼らは自分達の無知がみんなに知れ渡ったことを隠したいし、そのことに対して何らかの仕返しをしたいのです。そしてこのような人々がどんどん多くなってきたのです。今ここで私を訴えている3人の人々もそうです。彼らは実は、賢者と呼ばれるような有名な方々なのです。

  以上がこのたびの私に対する訴えが生じたいきさつです。この状況を理解してもらうことが、私の弁明となるはずです。これこそが隠すことのない真実そのものです。これ以上申し上げることはありません。以上が昔から言われ続けてきた訴えについての弁明です。

  次にもう一つの最近の訴えに対しての弁明に移りましょう。その訴えとは次のようなものです。「ソクラテスは青年を腐敗させ、国家が信ずるべきだと決めた神ではなく、全く違う新しい別の神を信じるように人々を仕向(しむ)けた」というものです。このことについては、ここに訴えた人を呼んできていますので、彼にいろいろと質問してみようと思います。それでは始めます。


(ソクラテス)
「私を訴えたメレトス君、ここに出てきなさい。君が私を訴えたことについて、今から議論しよう。それでは聞いてみるが、君が最も大事だと考えることは、青年が良い人間となることだね」
(メレトス)
「その通りだ」
(ソクラテス)
「それでは、若者を良い方向へと導くものとは何なのか答えなさい」
(メレトス)
「国の法律だ」
(ソクラテス)
「それではその国の法律をよく理解し、若者を良い方向に導くのは誰なのか」
(メレトス)
「今ここにいる裁判官たちだ」
(ソクラテス)
「裁判官全員がそうなのか」
(メレトス)
「もちろんそのとおりだ」
(ソクラテス)
「それならここにいる多くの一般の人々はどうなのか」
(メレトス)
「彼らもそうだ。若者を良い方向に導く」
(ソクラテス)
「それなら政治家はどうなのか」
(メレトス)
「彼らも当然、若者を良い方向に導く」
(ソクラテス)
「国会議員もそうなのか」
(メレトス)
「そうだ」
(ソクラテス)
「それなら、君はアテネのすべての人は若者を良い方向に導くが、私ソクラテスだけが彼らを悪の方向に導いているというのかい」
(メレトス)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「君の言うところによれば、私はほんとうにみじめな人間なのだな。しかし考えてみてくれよ。回りを見渡したら、馬をしつけることのできる人間はわずかで、ほとんどの人ができないのではないかな。多くの人が馬をしつけることができて、ただ一人の人間だけができないというようなことがあるであろうか。確かに、青年を腐敗させる者がただ一人で、あとのすべての人間は青年を良い方向に導くならこれほどいいことはないと思う。しかし、そんなことがあるはずがないではないか。さらに君に聞いてみよう。一緒に住むなら良いことを自分にもたらしてくれる善人と、悪い事をもたらす悪人のどちらがいいかい」
(メレトス)
「わかりきっている。善人だ」
(ソクラテス)
「まわりから利益よりも、害がもたらされることを求める人がいるだろうか」
(メレトス)
「いないに決まっている」
(ソクラテス)
「ところで君は、私が青年を故意(こい)に悪に導いているとして訴えているのか、それともそのつもりはないが知らないうちに悪に導いているというのかい」
(メレトス)
「私は故意だと主張する」
(ソクラテス)
「驚いたね。わたしが隣人に悪をおよぼせば、悪でもって返されることを知らないとでもいうのかい。私がそんな愚(おろ)かなことをするはずがないではないか。そのうえ君は私がその悪いことを故意にしているとまで言っている。少なくとも私は、故意に若者を腐敗させてなどいないことはここで誓って言える。もし私の行為が私の思いに反して若者を悪に導いているとしたら、君は私にそのように告げれば私は素直に改めたはずである。なぜわざわざここに呼び出し、処罰を与えようとしなければならないのか、私にはその行動の意味が分からない。さらに君は、私がわが国の認める神を認めないで、他の新しい神を信ずるように若者に諭(さと)し、彼らを惑(まど)わせているとも言っているのだね」
(メレトス)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「それなら君に聞くが、君は、私が神を信じているが、わが国が信ずるべきだとした神以外を信じるように若者に説いているというのかい。それとも、私は全くの無神論者であり、かつわが国が信ずるべきだとした神以外を信じるように若者に説いているというのかい。いったいどちらなのだ」
(メレトス)
「ソクラテスは、無神論者だ」
(ソクラテス)
「え、君は私がわが国の神を信じていないとでもいうのかい」
(メレトス)
「あなたはわが国の神を石や土と変わらないと思っているし、そのように言っている」
(ソクラテス)
「神に誓ってそう言いきるのか」
(メレトス)
「神に誓ってソクラテスは神を信じない人間だと断言する」
(ソクラテス)
「みなさん、彼の言っていることは全くつじつまの合わないことに気づいてください。まさに彼は、ソクラテスは神を信じ、神を信じないがゆえに罪があるのだと言っているのと同じことなのですよ。たとえば、この世に馬に関することの存在は信じるが、馬の存在は信じないという人がいるでしょうか。また、笛をふく技術が存在することは信じているが、笛吹きがいることを信じない人がいるでしょうか。いるはずがありません。同じように神のはたらきは信じているが神の存在を信じないというような人がいるでしょうか。メレトス君、答えてみたまえ」
(メレトス)
「そんな人は、一人たりともいない」
(ソクラテス)
「たしか君は私が神のはたらきを信じ、それを若者に教えていると訴えに書いているね。私が神のはたらきを信じるなら、神の存在を信じるということになるのではないかな」
(メレトス)
「そのとうりだ」
(ソクラテス)
「私自身が神の存在を信じているということを自らが言っているのにこんな訴えを書くなんて、何か違う目的があって私を罪人にしようとしているとしか考えられないよ」


  アテネのみなさん、私になんら悪いところがないことがお分かりいただけたであろうと思います。しかし、私に対する敵意が人々の間にいまだ多く存在しているのもまた事実です。もし私を滅ぼすものがあるとしたら、過去の多くの善人がそうであったように、それは訴え者ではなく、みなさん大衆の悪口や疑いの心です。みなさんは、なぜソクラテスはそこまでして、人々に無知を気づかせようとするのかと問われるかも知れません。

  その答えは次のとおりです。昔から、英雄と呼ばれてきた人々は、自分の死も恐れず正義を貫(つらぬ)いてきました。私もこれが正しい行いであるからこそ、自分の危険をかえりみずにそれを行うのです。私は恥をかいて生きるぐらいなら、死んだほうがましだと考えます。私が今この場を死の恐怖のゆえに逃げ出したとしたら、それは物笑いの種になることであろうと思います。もし、そのような行動を私がしたとしたらどうぞこの法廷で、いかにも賢人面(けんじんづら)はしているが死を恐れ、神や神のお告げを信じない者として私を裁いてくださって結構です。

  そもそも死とはそれほど恐ろしいものなのでしょうか。死については誰もどのようなものであるか知らないはずです。それをあたかも知っているかのように恐れるのは、まさにそれこそ賢人でもないのに賢人ぶっていることと同じことではないかと思います。

  ところで、もし仮に今回、あなたがたが私を無罪にしたとしても、私は決してこれからもあなたがたに無知を自覚させるという神から与えられたこの仕事をやめるつもりはありませんよ。私は自分の命の続く限りあなたがたを問いただすことをやめることはないでしょう。「名誉や財産を得ることだけを追い求め、知恵や真理に向かって自分の心をより良いものにすることになまけていることを恥ずかしいとは思わないのですか」と、私はみなさんに言い続けます。たとえ、「そんなことは、分かっている」と言われても私はあなたがたにそのことを言い続け、それに納得しそのような正しい行動ができるまで徹底的に問いただしていきます。そしてその結果、その人が賢者などではないと分かったら、あなたは善いものを価値がないと言い、価値のないものを価値あるものだとする間違った人間であるとして非難します。誰に対しても私はこの態度を貫きます。
  しかしそのことは、あなたがたにとって自分が賢くないことを悟るということで、実はあなたがたが幸福になることなのですよ。
  ともかく私がみなさんに言いたいことは、お金や富ではなく精神を最高の状態にすることに気を使うこと、また富から徳が生まれるのではなく、徳から富が生まれるということをしっかりと肝(きも)に銘(めい)じるべきだということです。あなたがたが私をどう裁こうとかまいません。ただ私は、たとえどのような裁きを受けようとも、自分が行うべきだと考えることは続けていきます。

  さらに、もう少し言いたいことがあります。反感を持たれるかも知れませんがどうか騒がすに最後まで聞いてください。私を死刑に処するということは、あなたがたが自分自身に自分で害を与えるようになるということを忘れないで下さい。正義に反して私のような善人を死刑に処することは、あなたがたに多いなる災(わざわ)いを招くことになると思います。私がこの場で弁明するのは自分の命ごいのためではありません。あなたがたが、神から与えられたソクラテスという宝物を死刑に処するような過ちを犯さないためなのです。私を死刑にしたら、あなた方を目覚めさせるような立派な人間を再び見つけ出すことは困難になると思います。あなたがたは、私を大事にし、かつ愛さねばならないのです。なぜなら、私は神から使わされた人間だからです。私は今まで自分のことは一切投げ打って、あなたがたを目覚めさせることに奔走(ほんそう)してきました。報酬などは一切受け取っていません。私が貧乏なのが何よりの証拠です。

  ところで、そこまで人々を良い方向に向かわせたいのなら、なぜお前は政治家になって、この国およびこの国の人々に尽くそうとしないのかと言われるかも知れません。しかし、それには理由があります。もし私が若くして政治家になっていたとしたら、もはや私はこの世に存在してはいないと思います。国家に対して行われる不正や不法に対して対抗しようとするものは、この国では生き続けていくことはできないのです。本当に正義のために戦おうとする者は、私人(しじん)でなければならず、公人(こうじん)となって生きてその職務(しょくむ)をまっとうすることは、きわめて困難なことなのです。

  このことに関して私は、あなたがたに証拠を示すことができます。実は私はかつて一度、参議院議員になったことがあります。その時私はある事件に出会いました。議員のほとんどが違法(いほう)な決議に賛成をする中で、私は国の法律と正義に従うべきだと訴え反対をしました。その時は、幸運にも何もなく済みましたが、もしこのようなことがもう一度あったら、私は命を失っていたであろうと思います。みなさん、私が政治に携(たずさ)わった身のままで、今のように正義を貫いた生き方をしてこのように生きながらえているということは、ありえないことなのです。政治家のような公職(こうしょく)につくということは、そういうことを意味するのです。

  私は今まで、正義を貫くことに関しては誰に対しても自分の意見を変えたことはありません。また、いまだかつて私は誰の師にもなったこともありません。私の話を聞きたい人には誰にでも話をしてきました。さらに、そのことで私はお金を受け取ったことも一度たりともありません。また、私は人に頼まれてこれらのことを行っているわけではありません。自分の意思で、いや神の意思で行っているのです。そのような活動によって今まで、賢者でもないのに賢いふりをしている人の多くが私に無知の正体をあばかれてきました。彼らのほかにも、私に若いときからいろいろな教えをうけた人間は多くいます。彼らのほとんどは、今や立派な大人になっているはずです。もしそれらの人々が当時の私の行動や教えに対して不満や怒りを覚えるなら、彼らも今ここに来て私を訴えているはずです。違いますか。仮に彼ら自身が訴えなくても、彼らの家族や友人が訴えるのではないかと思います。しかし、今ここにいるこのような人々で誰一人として私を訴えようとする人はいません。それどころか逆に私を応援しようとしていると聞きます。彼らの態度こそが、私に対して感謝の心を持ち、そのことをありがたく受け取っている証明ではありませんか。私を訴えているのは、恥をかかされたとして逆恨(さかうら)みしているほんの一部の賢者でもないのに賢いふりをしている人間だけなのです。

  私の弁明はこれぐらいにしておきます。あなたがたは、私よりはるかに軽い罪の人間が人々の同情をひくために、この場で涙を流し無罪判決をただひたすらお願いしているのを何度も目にしたことがあることと思います。ところが、私の態度にそのようなものは全くなく、あなたがたにとって私はふてぶてしく見えて不愉快(ふゆかい)にさえ感じるかも知れません。もしかしたら、あなたがたの中には私に自尊(じそん)心を傷つけられたという人もいるかもしれません。
  しかし、その怒りによって投票しないでほしいのです。私だって三人の子供のいる父親です。もちろん、その子供たちをここに連れてきてみなさんの同情を引こうとは一切思ってはいません。しかし、誤解(ごかい)しないで下さい。それは私が決して高慢(こうまん)な人間であるからではありません。それは、知恵あるものとしとてそれなりの評価を得てきたソクラテスという人間が、ただ死を恐れて正義を貫かなかったとなればこんな恥ずかしいことはないからなのです。今まで私は、相当に名声のある人がここに立つやいなや自分の考えを変え、ただひたすら命ごいをする姿を何度も見てきました。しかし、私はいやしくも少しばかりとはいえ名声を手にした人間です。そのようなことはすべきではないと考えます。もし、そのようなまるで芝居のようなことを私がここでしたとしたら、どうぞ厳罰に処(しょ)してください。ともかく私は、裁判官の同情心に訴えて刑を軽くしてもらおうとすることは誤りであると考え、そのようなことをする気持ちは全くありません。みなさんどうぞ公正に判断してください。賢明なみなさんにすべてをまかせます。

  2 判決を終えて

  あなたがたが私を有罪にしたことに対して、私は驚いてなどいません。むしろ、有罪と無罪の投票の差がこんなにも小さかったことに驚いているくらいです。訴えた人々は私を死刑にすることを要求していますが、私は刑罰などを受けるような悪いことをしてきた人間ではなく、むしろ感謝されるべき人間だと思います。たとえば食事によってもてなされることのほうが適しているのではないでしょうか。このようなことを言っていると、あなたがたは私がまたもやおごり高ぶった傲慢な人間だと思われるかも知れませんね。
  しかし、私は決してそのような人間ではありません。じっくりと話し合う時間が持てれば、私という人間を分かってもらえるはずだと思います。しかし、残念ながらこの裁判は短時間で結論を出さなければならないことになっています。あなたがたは、このうるさい私を国外に追放しようと思っているのかも知れません。しかしそのようなことをしたなら、アテネの人々さえ嫌がっていることを全く他国の人々が経験しなければならないことになるのではありませんか。ただ、私としては、また新しい地で方々を歩き回り、そこで若者をつかまえては、問いただしたりできるので、追放の刑罰もけっして悪くはないかなとも思います。

  あなたがたの中には、ソクラテスよ、もうここらへんで退(しりぞ)いて静かに暮らしたらどうかと言いたい人もいるかも知れません。しかし、私のこの活動は、神から与えられた命令ですので続けなければならないのです。それと、仮に罰金を科せられても私には支払うお金がないことはここで申し上げておきます。
  みなさんは我慢(がまん)がたりないなと思います。あえて今ここで私を死刑にしなくても、この老いぼれはまもなくすれば死んでいくのです。私に死刑の投票をした人は、お前は死刑を免(まぬが)れるためにもっといろいろなことを言えばよかったのではないかと思っているのかもしれません。私に足らなかったものは、泣きわめいて許しを願いでる姿だったのでしょうか。いいえ、私にはそんなことをする気は全くありません。戦場であろうと法廷であろうと死を免れようとすれば、ぶざまではあるがその方法はいくらでもあることは分かっています。死を免れることは簡単ですが、正しいことを貫くことは困難です。私はいさぎよく死の判決を受けます。

  私を有罪としたみなさんに今後のことを予言しておきましょう。特に死期のせまった私の予言には特別な重みがあるはずだと思います。私を死刑にすれば、もうあなたがたを問いただす人間はいなくなるとでも思っているのでしょうか。いや違います。問いただしていく人はさらに増えていきます。実は、今まで私が彼らの動きを抑えていたのです。あなたがたは自分に対する非難から逃れるのではなく、進んで自分を改めるようにしなければならないのです。

  私に無罪の投票をしてくれた人たちにも、今ここでお話をしておきたいと思います。実は私の身にはこのところ不思議なことが起こっていたのです。それは神からの警告(けいこく)のことなのです。神からの警告は、私がなにか良くないことをしようとした時、いつも私に聞こえてくるものです。ところが、私が死を宣告されたというこの時であるのにもかかわらず、神からのお告げは今のところ何一つありません。ということは、私にとってこのことは良いことなのだという意味だと思います。つまり、死とは人間にとって幸福なことであるということなのに違いありません。仮に死が全くの無になることであるとしたら、まさに何の夢も見ない熟睡(じゅくすい)であり、これほどすばらしいものはないと考えます。永遠といえども一夜とそんなに変わるものではないと思います。また仮に死が、次の段階への階段ならこれもまたすばらしいものであると思えます。あの世で多くの過去の偉い人に出会えるでしょう。そして、そこでも多くの人々に無知を知らせる活動ができるでしょう。多くの人々に問いかけができることが楽しみです。そしてそのうえそこは、もはや死のない世界ですので、二度と死刑にされることもないであろうと思われます。
  私に対するこの死刑判決は、たぶん死んでこの苦しみから逃れなさいという意味であろうと考えます。それゆえに神は私に何の警告もしなかったのだと思います。

  最後にみなさんにお願いがあります。私の息子たちが成人して、徳よりも名声や金を大事にする生活をしていたらどうぞしかってやってください。それでこそ、私と息子たちは、あなたがたから正当な取り扱いを受けたことになります。私にはもう去るべきときがきました。(30 4/5改定) (以上)




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『クリトン』(プラトン)


(ソクラテス)
「今日はやけに早いな」
(クリトン)
「たしかに、まだ夜明け前だからな」
(ソクラテス)
「それにしても、こんなに早い時間によくここに入れたな」
(クリトン)
「簡単だよ。牢屋(ろうや)の番人にこんな時のために、いつもお金や品物を渡しているからな」
(ソクラテス)
「ところで、眠っていたから分からなかったけれども今来たのかい、それともだいぶ前から来ていたのかい」
(クリトン)
「かなり前から来ていたよ」
(ソクラテス)
「それなら、なぜすぐ私を起こさなかったのかい」
(クリトン)
「いや、君が死刑判決を受けてから、なかなか眠れないのではないかと思ったからだよ。もし、やっと眠りにつけたところだったとしたら、起こすのは申し訳ないと思ったからさ。それにしても君は、いつものように熟睡(じゅくすい)しているように見えたけどそうなのか。眠れないということはないのか。私だったら、とてもそのように平静(へいせい)ではいられないと思うよ」
(ソクラテス)
「この年になって死期が近づいたからといってもがき苦しむのはばかげた話だよ」
(クリトン)
「しかし、君と同じぐらいの年の老人でも、死すべき運命に出会って、悩み苦しんでいる人を何人も見てきたよ」
(ソクラテス)
「それはいいとして、何の用事でこんなに朝早く来たのかい」
(クリトン)
「実は悲しい知らせをしなければならなくなったからだ。まあ君にとっては何でもないかもしれないけれど、われわれにとってはひじょうに悲しいものなのだ」
(ソクラテス)
「ひょっとして、死刑執行(しっこう)の期日が決まったのかい」
(クリトン)
「そうなんだ。どうも明日、君の死刑が行われることになるらしいのだ」
(ソクラテス)
「いや違うよ、クリトン。ぼくの死刑が行われるのは明日ではないと思うよ」
(クリトン)
「なぜそう思うんだい。なぜそんなことが分かるんだい」
(ソクラテス)
「実はさっきまでぼくは夢を見ていたんだ」
(クリトン)
「その夢でそのことが分かったのかい。それならぜひともその夢の話を聞かせてくれよ」
(ソクラテス)
「分かった。それは、今から3日後にソクラテスは幸せな場所に行くのだと、女性から告げられた夢だったんだよ」
(クリトン)
「不思議な夢だね」
(ソクラテス)
「まあ、ぼくにはその夢の意味は、よく分かっているんだけどな」
(クリトン)
「死刑が行われるのが明日か3日後かはぼくには分からないけど、ソクラテス、今からぼくの言うことをどうかよく聞いてくれ。ともかくここから逃げ出してくれ。親友である君をぼくは失いたくないんだ。それとぼくがお金を惜(お)しんでソクラテスを逃がさなかったと、あとあと人々に非難(ひなん)されたくはないんだ。ぼくは君に何度も逃げてくれと頼んだが、ソクラテスは決して逃げようとはしなかったと言っても、誰も信じてくれるはずがないからな」
(ソクラテス)
「なぜそんなことを気にするんだい。賢い人はちゃんと真実を見ているよ」
(クリトン)
「多くの人々がどのように思っているかを絶えず考えておかなければならないことは、今回の君に対する死刑の投票で君にも分かったはずだよ。大衆を敵に回すとどんな小さなことでも大きな害となってふりかからないとも限らないからな」
(ソクラテス)
「ぼくは逆に大衆にそれだけの大きな力があればいいと思うよ。それなら人を幸福にすることもできるからだ。しかし、現実には大衆にはそのような大きな力はないのだよ」
(クリトン)
「その話はひとまず置くとして、ソクラテス、君はまさかぼくらが君を逃がしたことによって、財産を没収(ぼっしゅう)されたり、その他の罰を受けることを心配しているのではないのかい。われわれは、たとえそれ以上の犠牲(ぎせい)を払っても全くかまわない覚悟(かくご)はできているよ。どうかそんなことは心配しないで、ぼくの言うことを聞いて逃げてくれよ」
(ソクラテス)
「たしかに、君たちが罰を受けるかもしれないということは、ぼくの心配の一つであることは間違いないよ」
(クリトン)
「どうかそんな心配はしないでくれ。彼らが要求する金額などたかがしれているし、君のためなら仮にぼくの財産のすべてを使ってもかまわないよ。また、ソクラテスのために使ってくれと言ってわざわざお金を持ってやってくる人もいるくらいだ。だから何も気にすることなく逃げてくれ。君ならどこへ行っても歓迎されるはずだよ。生きのびようと思えばいくらでも生きながらえる方法はあるのに、なぜ、自ら死を選ぶのか、ぼくには理解できないし、そのことに賛成もできないんだ。奴(やつ)らのわなにまんまとはまるのかい。残された息子たちはどうなるのかい。息子たちを見捨てるのか。君には子供たちを養なう義務があるのではないかい。
そもそもこの裁判から死刑の判決までを防げなかったのはわれわれの力のなさだし、もし君を今ここから助け出せなかったら、われわれはさらにひきょうな人間だと世間から思われることになる。ソクラテス、ここを出ることが君を含めすべての人にとっていいことなんだ。考えている暇はない。今晩中にここを出なければならないのだ。ぐずぐずしていたらすべてが無駄(むだ)になってしまうのだ」
(ソクラテス)
「クリトン、君の熱心さには感謝するよ。しかし、私は今まで心の底から正しいと思うことだけしか行ってこなかった。これから先も今以上のどんな脅(おど)かしにあおうとも私はこのことだけは守っていく。
間違っているかもしれない大衆の意見が尊重され、正しくても少数の意見なら尊重されないというようなことは正しいことではないよな」
(クリトン)
「たしかに、正しいことではない」
(ソクラテス)
「われわれは、正しい知恵をもっている人の意見に従うべきで、正しい考えをもたない人の意見には従うべきではないな」
(クリトン)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「運動選手は、多くの大衆の意見を聞くだろうか、それとも一部の専門家の意見を聞くだろうか」
(クリトン)
「もちろん、専門家だ」
(ソクラテス)
「つまり人間が大事にすべきなのは、大衆の意見ではなく、ただ一人の専門家の正しい意見だな」
(クリトン)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「ところがある運動選手が逆に大衆の意見を尊重したら、それは災(わざわ)いをもたらすよな」
(クリトン)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「では、その災いとはどんなものなのか」
(クリトン)
「身体に対してもたらされる悪いことだ」
(ソクラテス)
「このことは、運動選手以外のどんな人にもあてはまるのではないのかい」
(クリトン)
「そのように思える」
(ソクラテス)
「運動選手が専門家の意見を聞かなかったために悪い影響を受けるとしたら、それは身体かい」
(クリトン)
「そのとおりうだ」
(ソクラテス)
「それなら不健康な身体で生きがいなどあるかい」
(クリトン)
「ないと思う」
(ソクラテス)
「そこで、知恵のある人間なら、生きるということはどれだけ長く生きたかではなく、どれだけ生きがいのある人生が送れたかが大事だと言うのではないか。つまり、単に生きるのではなく、より善く生きることが重要であると言うのではないか」
(クリトン)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「そして善く生きるということは、正しく生きることだよな」
(クリトン)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「それじゃあ今までの議論の結論から次のことを考えてみよう。ぼくがアテネの人々が同意しないのに、ここから逃げだすことは正しいことだろうか。もし正しいことなら私はそれを行う。私が逃げた場合、君らが受ける非難や君らにお金を出させること、また私の子供たちの将来のことなども気にかからないわけではないが、それらは私にとっては大きな問題ではない。私にとって大事なことは、果たして私がここを逃げ出すことが正しいことなのかどうかということだ。ここにいると殺されることになるが、それは不正を犯すことに比べればまだましなことだと思う」
(クリトン)
「君の言うことはたしかに正しい。それなら、私はどのようにすればいいのか教えてくれ」
(ソクラテス)
「まず、ぼくに反論できることがあればどうぞしてくれ。その反論にぼくが納得できたならばそれに従うよ。そうでなければ、もう逃げろなどということは言わないでくれ。ぼくは、できることなら君の同意を得たうえで行動したいんだ。クリトン、ぼくらはいかなる時でも不正を行ってはならないと結論したよな」
(クリトン)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「不正を受けたから、不正でもって仕返しをすることは許されないことだよな」
(クリトン)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「さらに聞くよ。人間は他人に災いをもたらしてもよいのか」
(クリトン)
「いや悪い」
(ソクラテス)
「他人から害悪を受けたら、同じような害悪を加えることで仕返しをするということは正しいことか」
(クリトン)
「いや、正しくない」
(ソクラテス)
「人に害を加えるこということは、不正を行うということだよな」
(クリトン)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「たとえ自分がどんな災難を人から受けさせられようと、この原則は変わらないし今も変わっていないのだ」
(クリトン)
「ぼくも変わってはいない」
(ソクラテス)
「また、人間は他人に対して約束したことは、守るべきか守らなくてもよいか」
(クリトン)
「当然、守るべきだ」
(ソクラテス)
「それなら私が国家の許しを得ることもなくここから逃げ出すことは、誰にも迷惑をかけないことでまた正しいことだと言えるのか」
(クリトン)
「その答えは、ぼくには分からないから、答えることはできない」
(ソクラテス)
「国家や国の法律が生きている存在だとしよう。もし、私がここから逃げようとしたら、彼らは私の所にやってきて、『お前は今、国家と国の法律を破壊しようとしているのではないか』と、また『国家の中で暮らす人々が自分勝手に国の法律を破るとしたら、そのような国家は存在し続けることができるのか』と言うであろう。それとも彼らがそのようなことを言うことが間違っているとでもいうのかい」
(クリトン)
「私は国家が間違ったことをしたのだと思う。国家が君に対して正しくない判決を下したのだ」
(ソクラテス)
「それなら国の法律はこのように言うだろう。『お前は国家の法律に従うと誓ったのではないか。いったいお前は国家や国の法律の何に対して文句を言っているのだ。まず第一に、お前が生まれ、今までこのように生きてこられたのは国家のおかげではないのか。国家があったからこそお前の父と母は出会い、安心してお前を育てることができたのではないか。わが国の結婚に関する法律で、お前に非難できるものがあるのか。子供の教育に関するもので、何か不満なものでもあるのか。お前は、どれだけの恩を国家や国の法律から受けてきたと思うのか。
お前は、父親や母親と同じ権利を持っているとでも言うのか。国家や国の法律に対してもお前の権利はそれと変わりないはずではないか。いや、国家とは父や母よりももっと偉大(いだい)で、尊(とうと)ぶべきものではないのか。国家とはそういうものであるはずだ。いついかなる時でも、国民は国家の命令に従わなければならないのだ。まさか、お前は父母に暴力を用いることなどないであろう。ましてや、国家や国の法律に対して、力でそれに反対する行為など許されるはずがない。そんなこともソクラテスは分からないのか』と、このように言ってきたら君はそれでも国家の言うことは間違っているとでもいうのかい」
(クリトン)
「国家のいうとおりだと思う」
(ソクラテス)
「国や国の法律はさらに続けて言うだろう。『今、おまえがここから逃げるということは間違った行いである。私は、お前を育て教育などのあらゆる良いものを与えてきたはずだ。また、お前が望むならいつでもお前は全財産をかかえてこの国を去ってもよいとまで言ってきたのではないか。それにもかかわらず、お前はここに住み続けている。それならお前には、国家に服従する義務があるのではないか。もし、国家が間違っているというなら、私を説得して改めさせるべきではなかったか。国は、それをお前に許してきたはずだ。もし、お前がここを逃げるというなら、その行動に対する非難はすべてお前に向けられるのだ。すべてお前の責任である。なぜなら、国家とこのような約束をしたのは、ソクラテスお前自身だからだ。お前はこの国が気に入っていたはずだ。第一お前は、この国を用事もなく離れたことがない。おまえがここに住み、ここで子供をもうけたことも、ここが気に入っていたからではないのか。さらに、お前は裁判の途中で国外追放の刑罰を受け入れることもできたはずだ。ところがお前はどんな刑にも従うと言って、それを選ばなかったではないか。自ら死刑を選んだようなものではないか。それなのに今になって、私にそむいて逃げようとしている。恥をさらすことだとは思わないのか』このように国や国の法律が言ってきたらクリトン、お前はどのように答えるのか」
(クリトン)
「たしかに国や国の法律の言うとおりだと思う。反論できない」
(ソクラテス)
「さらに国家は私に言うだろう。『お前はわれわれとの契約を無視しようとしているのではないか。お前が私のもとを立ち去ろうと思えば、いつでもできたはずだ。70年間もの余裕があったではないか。お前はこの国とこの国の法律が好きなのだ。まさか死からのがれたいだけの理由でこの国から逃げて人の物笑いの種となるようなことはないよな。お前が逃げたり、この決定に従わなければ、どのような結果がお前たちにふりかかってくるのか分かっているのか。お前はもちろんのこと、お前の家族や友人もすべて国家追放の刑を受けたり、財産をすべて取りあげられたりするのだぞ。
また、お前が他の国に逃げても、そこでお前はその国の法律の敵と呼ばれる人間になるのだ。お前はそこでは、国の法律の破壊者と呼ばれるはずだ。そうなれば、お前に対するこの判決は、間違いではなくやはり正しかったものだと人々から思われるだろう。そんな状況でそこの場所でお前は正義を人々に語ることができるとでも言うのか。まあ、秩序のないような国では、逃げのびてきた者として暖かく迎えられるかも知れないがな。それもまた笑える話だ。どうしてあと少しの寿命(じゅみょう)しかないであろうお前が恥をかいてまで生き続けようとするのか。
お前は逃げのびた場所で、奴隷のように他人に気に入られるように人の機嫌(きげん)をとって生きていくのか。お前はわが子を立派な人間に育てあげたいのではないのか。しかし、そのような状態のお前に子どもが一緒についていけるとでも思うのか。たとえお前がいなくても子供たちはお前の友人が育てていくであろう。だからソクラテス、正義を貫くこと以外には何も考えるな。お前がこのままこの世を去るなら、一般大衆から不正を受けた人間として認められるであろうが、もし逃げたなら国家や国の法律に間違った仕返しをした人間としてどこへ行っても、また死んだ先でも恥をさらし続けるであろう。お前は私の考えに従うのが一番いいのだ』クリトンよ。私にはこういう声がたえず聞こえるのだ。それでも君はまだ私に何か言おうとするのかい」
(クリトン)
「いや、もう何も言うことはないよ」
(ソクラテス)
「じゃあ、ぼくは自分の考えるとおりに行動するよ」(以上)(30 4/8 改定)




−誰でも読めるシリーズ−


『パイドン』(プラトン)


(エケクラテス)
「パイドン、ソクラテスが毒薬を飲んで死刑となった時に、あなたはその場所にいた のですか。それとも、そこにはいなくて、その時の様子を誰かから聞いたのですか」
(パイドン)
「私自身がそこにいました」
(エケクラテス)
「それなら、あの方が死の前にどのようなことを話されたのか、どのような様子であ ったのかを教えてください」
(パイドン)
「はい。ところで、裁判の状況はどのようなものであったのかはご存じですか」
(エケクラテス)
「それは知っています。ただ、死刑判決が出てからその刑が執行(しっこう)される までかなり長い期間があったのはなぜですか」
(パイドン)
「それは、ちょうど、彼の判決が決まる前日にアテネの人々にとってひじょうに大切 なお祭りが始まったからです。これは長期間続けて行われるものです。アテネでは、 この祭りの期間中は国を清らかな状態にしておかねばならないと決められていて、死 刑などの刑罰は行ってはならないことになっていたからなのです」
(エケクラテス)
「わかりました。それでは、ソクラテスが毒薬を飲まれた時の状況を詳(くわ)しく 教えてください」
(パイドン)
「その時は、ソクラテスの周りには多くの人々が集まっていました。しかし、不思議 なことに、私はその場にいてまさに今、死刑が行われようとするその時にもかかわら ず、全くと言っていいほど、悲しい気持ちにはなりませんでした。なぜなら、その時 のソクラテスの話された内容やその態度から、あの方はひじょうに幸福そうな様子に 感じられたからです。ただあの方とお話しをして、日頃感じるような楽しい気持ちは 起こらなかったのは事実です。その感覚は、説明のつかない全く何か奇妙(きみょう) なものでした。それは、喜びと苦しみの入り混じった複雑な思いでした。そこに集ま った者たちも私と同じ感情だったと思います。ある時は笑い、ある時は泣いていまし た。それと、プラトンは病気で、そこには来れなかったと記憶しています」
(エウケラテス)
「それでは、そこでのその時の議論の様子を教えてください」
(バイドン)
「わかりました。最初からできる限り詳しくお話ししましょう。彼が牢獄(ろうごく) に入れられてからというもの、われわれは毎日のようにそこの門が開く前から集まり、 開門と同時に彼のところに行き、たいていは一日中をそこで過ごしていたのです。た だ、処刑(しょけい)の日は、いつもより早くそこに集まりました。
間もなくして、門番が出てきて、今、刑務官(けいむかん)がソクラテスに、本日、刑を執行することを伝えているのでしばらく待つように言いました。その伝達が終わったので門番は、われわれを中に招き入れました。そこには、ソクラテスと妻のクサンチィッペと彼の子どもたちがいました。クサンチッペは、われわれを見るなり大声で『この親しい方々があなたに話しかけ、あなたがこの方々に話しかけられるのもこれが最後なのですね』と泣き叫びました。ソクラテスは、『誰か妻を家に連れて帰ってくれ』と頼まれましたので、何人かが彼女を連れて出ていきました。ソクラテスはベッドの上に起き上がり、足をさすりなから話を始めました」
(ソクラテス)
「快楽と苦痛は不思議な関係にあるな。両者は全く反対なものなのに、一方がやって きたあとにすぐにもう一方がやってくるね。まさに今のぼくがそうだ。足枷(あしか せ)につながれていた時には足にずっと苦痛があったけど、それがほどかれるとすぐ に快さがやってきたよ」

 すると、その場にいたケベスが口を開いた。

(ケベス)
「あなたは以前には詩などつくられることはなかったのですが、ここに来られてから 何作もつくっておられます。ある友人からもなぜソクラテスが詩を作り始めたのか聞 いてくれと頼まれています。どうかその理由を教えてください」
(ソクラテス)
「それは、夢がぼくに『文芸活動をせよ』と命じたからなのだ。以前からもこの夢は 見ていたのだが、今まではそれは『哲学をせよ』ということだと思っていた。しかし、 死期がせまるにつれてそれは、詩をつくりそれを残せと言っていることだと解釈(か いしゃく)するようになったからなのだ。真実を追求することも大事だが、創作(そ うさく)することもまた重要なことだと考えるようになったのだ。このように君の友 人にも説明しておいてくれ。それとその友人に、あなたも哲学者なら早く私の後を追 うようにとも言っておいてくれ」

 すると、シミアスが言いました。

(シミアス)
「なんと、あなたはケベスに、友人に対してソクラテスのあとを早く追いなさいと言 えとおっしゃるのですか。そんなことに彼の友人が従うとはとても思われません」
(ソクラテス)
「なんだって、ケベスの友人というのは哲学者ではないのか」
(シミアス)
「哲学者です」
(ソクラテス)
「哲学者であればぼくのすすめに従おうとすると思うよ。ただ、自殺はしないだろう な。なぜなら、自殺とは一般的には人間にとっては許されないことだとされているか らだ」

 そこでケベスが尋ねました。

(ケベス)
「それはどういう意味ですか。一方では、自殺は許されないと言われながら、他方で は、哲学者は喜んで死ぬもののあとを追えなどと言われるのは矛盾(むじゅん)して いてとても私には理解できません」
(ソクラテス)
「それなら話してあげよう。これは私もある人から聞いた話だけどね。今日夕方、死 へと旅立つ私があの世への旅路(たびじ)がどんなものだと考えているかを語ってお くことは、多いに意味のあることだと考えているからな」
(ケベス)
「はい、お願いします。それでは、自殺は許されないことだと今までいろいろな人か ら聞かされてきましたが、誰からもその明確な理由を聞いたことがありません。是非 それから教えてください」
(ソクラテス)
「まず、不思議に思うかもしれないが、人は生きることよりは死ぬことの方が誰にと っても無条件的に善い事だということを言っておきたい。だからといって、自殺は許 されない。なぜなら、人間は自分自身でその善い事をしてはならないからである。他 者がしてくれるのを待たなければならないということなのだ。不合理なことように思 われるかもしれないが、これには根拠があるのだ。われわれ人間にとって、生きると いうことは、ある意味では牢獄(ろうごく)の中にいるようなものなのだ。しかし、 われわれは、そこから自分自身を解放して逃げ出してはならないのである。なぜなら、 われわれ人間は、神々の所有物の一つなのだからだ。たとえば、君の所有物の一つが、 君がそれを望んでもいないのに勝手に死を選んだらそれに腹を立てるし、もし罰則が 与えられるなら、その所有物に対して罰を与えようと思うだろ」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「つまり、われわれの目の前に神が死というものを何らかのかたちでお贈りになるま では、われわれは自分自身を自分で殺してはならないということだ。つまり、それが 自殺が許されない根拠なのだ」
(ケベス)
「はい、それは分かりました。しかし、哲学者は喜んでできる限り早く死のうとすべ きだという点は理解できません。なぜなら神は、哲学者こそ、最も長く生きて自分の もとにいてほしいと思うのではないですか。彼らが神のもとを早く立ち去ることを望 んでいるとしたら、神は、ひじょうに憤慨(ふんがい)されるのではないですか。
 また、思慮分別(しりょふんべつ)のない人間なら、自分を監視する神のもとから 早く逃れたいと思うかも知れませんが、哲学者は、自分より優れた神のもとにできる 限り長くいたいと考えるのではありませんか。そうなると、あなたの言われているこ ととは反対に、思慮ある者たちが死に対して憤慨し、無思慮な者たちが死を歓喜(か んき)するのではないですか」
(ソクラテス)
「ケベス君はいつもぼくのいうことをすぐには信じようとしないね」

  すると、今度はシミアスが会話に加わりました。

(シミアス)
「いや、ソクラテス。ケベスの言っていることは間違っていないのではないですか。 知恵のある人々が平気で神のもとを離れるとは思えないのです。それとケベスは、あ なたのことも言っているのではないかと思います。なぜあなたは、われわれや神のも とを平然として離れようとしているのかと問うているのではないですか」
(ソクラテス)
「シミアス君そしてケベス君、確かに君たちの言おうとすることは理解できる。しか し、私は、人間は死んだらこの世を支配する神々とは別のさらに賢くて善い神々の所 へ行くということ、また、この世の人々よりはより優れた死んだ人々のところへ行く ということを疑うことなく信じているからなんだ。だからぼくは、それを信じること ができない人々と同じように死を恐れたり、死に対してはがゆさや憤(いきどお)り を感じることなどないのだ」
(シミアス)
「ソクラテス、あなたはその確信を自分だけが持って死に向かわれるのでしょうか。 もしそれが真実であるのなら、われわれが死ぬ場合も同じであるはずです。どうかそ の確信をわれわれも持てるように、説明し説得してみてください。それが同時にあな た自身の今の状況にわれわれが納得できることにもつながるはずです」
(ソクラテス)
「わかった。それじゃあ試みてみよう。ただ、ところで、さっきからクリトン君が何 かを言いたがっているので、ちょっと聞いてみようではないか」
(クリトン)
「ひじょうに言いにくいことなのですけれども、あなたに毒薬を飲ませる役目の男が、 ソクラテスとあまり会話をしないでくれと言っているのです。話すことでソクラテス の体温が上がると薬の効き目が悪くなり、薬が2倍も3倍もいるそうなのです」
(ソクラテス)
「その男はほっとけばいいではないか。2倍でも3倍でも毒薬を作らせればすむこと ではないか」
(クリトン)
「私もそう思うのですが、彼があまりにもしつこく言うものですから一応、伝えてお きたかっただけです」
(ソクラテス)
「それでは、始めよう。本当の哲学者といえる者は、死ぬこと、死の状態にあること、 それだけをいつも願っているものなのだ。そのように死を望んできた人間が、いざ実 際に死がやってくるときに、それに対して憤慨(ふんがい)するということは全く馬 鹿げたことであるのではないか」
(シミアス)
「笑うつもりなどないのですが、多くの人は哲学者とは死んだも同然の生き方をして いる人間だと思っていますから、そのことには多分、納得するのではないかと思いま す。またそれがふさわしいと哲学者自身も分かっているんじゃないかと思います」
(ソクラテス)
「確かに君の言うことは当たっているな。ただ、哲学者もどのような死が自分にふさ わしいかまでは分かってはいないのだ。それはそれとして、死がわれわれにとってど のようなものであるかを考えていこうではないか」
(シミアス)
「はい、分かりました」
(ソクラテス)
「それでは始めよう。死とは、魂と肉体の分離(ぶんり)だよな。魂と肉体が単独の ものとなることだな」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「ところで、哲学者は食べることなどの快楽を熱心に追求する人間であるだろうか」
(シミアス)
「いいえ、そのような人ではありません」
(ソクラテス)
「それでは、性の快楽についてはどうだろうか」
(シミアス)
「当然、追い求めることなどありません」
(ソクラテス)
「彼らは、その他、身体に関わること、たとえば豪華(ごうか)な洋服を着たり、きれいな靴をはいたりすることを尊重するか、それともそれらは最低限満たされていればそれでよいとして、むしろそれ以上のものを持つことを軽蔑(けいべつ)するかい」
(シミアス)
「本当の哲学者なら軽蔑すると思います」
(ソクラテス)
「それなら、一般に哲学者の仕事とは、肉体に関することではなく、魂に関わることで、彼らの関心も魂の方にあると考えていいかな」
(シミアス)
「そのように思います」
(ソクラテス)
「つまり、哲学者とは、他の人々とは違い、できるだけ魂を肉体との交わりから解放しようとする者であると言えるのではないかな」
(シミアス)
「明らかにそうです」
(ソクラテス)
「ところが、一般の多くの人々は、肉体的なものを快いと思わずにそういうものに関わろうとしない者は、生きるに値しない、死んだも同然の人間であると考えているのではないかな」
(シミアス)
「そのとおりだと思います」
(ソクラテス)
「それでは、知恵を得るには肉体は役立つのか、それとも邪魔(じゃま)になるのか。肉体の目や耳を使って見ること、聞くことは人々に真実を教えてくれるのか。それともそれらを使ってはかえって知ることはできなくなるのか。ましてや目や耳よりも感覚的に劣ったその他の肉体的諸器官がわれわれに真実を教えてくれるとでもいうのか」
(シミアス)
「肉体をとおしては、真理をとらえることはできないと思います」
(ソクラテス)
「肉体と協同して魂が何かを考察(こうさつ)しようとするとき、魂が肉体に欺(あざむ)かれるなら魂は、いつどのようにして真理に触れることができるというのか。もし、魂が真理に到達するときがあるとすれば、それは肉体と離れた思考の過程においてではないだろうか」
(シミアス)
「そうであろうと思います」
(ソクラテス)
「つまり、思考が最も研(と)ぎ澄まされるのは、聴覚や視覚または苦痛や快楽などの肉体的なものから離れたときではないか。魂が肉体に別れを告げて、可能な限り肉体と交わりを断(た)ったときではないか」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「つまり、哲学者の魂は肉体を嫌い、そこから離れようとし、肉体のない自分になろうとしていると言えるな」
(シミアス)
「そのように思われます」
(ソクラテス)
「ところで、シミアス君。正義とは存在するのかしないのか」
(シミアス)
「存在します」
(ソクラテス)
「それでは、善や美は存在するのか」
(シミアス)
「当然、存在すると思います」
(ソクラテス)
「それでは、これらのものを君は今まで目で見たことがあるかい」
(シミアス)
「いいえ、ありません」
(ソクラテス)
「それでは、目以外の肉体の器官がそれらをとらえたことがあるかい。もっというなら大きさ、健康、力などその他すべてのことについても、これらの本質というものを目で見たり、肉体の器官で把握(はあく)できたことがあるであろうか。これらの本質について知るには、思考・考察(こうさつ)によって近づく以外にはないのではないかい」
(シミアス)
「まったく、そのとおりです」
(ソクラテス)
「これらの本質そのものを把握するには、人は魂による思考そのものでそれらのものに向かい、その過程(かてい)で感覚に引きずり込まれないようにし、純粋な思考それのみを用いて追求する。つまり、魂ができる限り肉体から解放されるように努めるのではないのか」
(シミアス)
「まさにそれが真実です」
(ソクラテス)
「そして、本当の哲学者は次のように考える。肉体をもち、魂がそれに影響を受けている限り、われわれは、本当の意味の真実には決して到達できない。肉体を養うためにわれわれはいろいろな厄介(やっかい)な事をこの身に引き受けにければならないからである。病になれば真実の探究をそれが妨害するし、愛欲・欲望・恐怖もそれを妨げる。戦争などの争いも肉体の欲望がもたらす。なぜならそれらは財貨(ざいか)の獲得を目指すからである。肉体を養うためにわれわれには財貨が必要なのである。これらによりわれわれは哲学するゆとりを失うのである。仮に真理の探究に向かったとしても、途中で肉体により引き戻されてしまうのである。ゆえに、純粋に物事を知ろうとすればわれわれは肉体から離れなければならないのだ。それにより、真の知恵者となることができる。つまり、それは死んだ時を意味するのである。生きている間に知恵者になることは決してきないのである。生きている間にそれに近づくためには、われわれはできる限り肉体との交わりを避け、魂を清らかな状態を保つ必要がある。そしてそれに最も近付いた時、本当の意味の真理に最も近付くのである。私はそう思うがシミアス君はどうかね」
(シミアス)
「私もそう思います」
(ソクラテス)
「もしこのことが真実なら、私が今から行くところへ到達した者には大きな希望があるのだ。そこは、われわれがこれまでの人生で獲得しようと追求してきたものが手に入るかもしれない希望の場所だ」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「つまり哲学者にとって大事なことは、魂をできる限り肉体から切り離し、この足枷(あしかせ)となっている肉体から魂を解放し、できる限り魂だけで単独に生きられるようにすることだな」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「そして、この魂と肉体の完全な分離こそが死ではないのかね」
(シミアス)
「全く、そのとおりです」
(ソクラテス)
「魂の解放を常に望んでいるのは正しく哲学をしている人だけだ。哲学者の仕事とは魂を肉体から分離させ解放させることだな」
(シミアス)
「そうだと思います」
(ソクラテス)
「それなら、できるだけ死に近い状況にいようと努めてきた人間が、いざその死がやってこようとした時に憤慨(ふんがい)するとはおかしいことではないかね」
(シミアス)
「確かに、滑稽(こっけい)なことです」
(ソクラテス)
「ある意味、死の練習をしてきたとも言える哲学者がもし、死を恐れ、それに対して憤慨するとしたら、全く不合理なことではないかね。あれほど求めていた、あの世へ行くということが実現しようとしているのに、喜ばないことなんてありうるはずがない。本当の哲学者とはそのように考えるのではないか」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「ゆえに、ある人がまさに今、死に直面して、怒り嘆(なげ)いているとしたなら、その人は哲学者ではなく肉体を愛する者であったということになるのではないか。つまり、金銭や名誉を愛する人なのだ」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「勇気とか節制も哲学者が求めているものではないかな」
(シミアス)
「そうです」
(ソクラテス)
「ところで、哲学者以外の人々の考える勇気や節制とはいささか奇妙(きみょう)なものだとは思わないかい」
(シミアス)
「どうしてですか」
(ソクラテス)
「哲学者以外の人は、死を大きな災難の一つと考えていることには、君も納得するね」
(シミアス)
「もちろんです」
(ソクラテス)
「たとえば、一般の人々の中の勇敢な人が死を耐える時は、死よりもより大きな災難をこうむるぐらいなら、まだ死んだほうがましだと考えて死の恐怖に耐えるのだね」
(シミアス)
「はい、そのとおりです」
(ソクラテス)
「ということは、それらの人々は恐怖によって勇敢になっているのである。これは不合理なことのように思われるが、そうではないかね」
(シミアス)
「そう言われれば、そういうことになります」
(ソクラテス)
「節制についても同じことが言えるのではないか。ぜいたくな暮らしをしたいがゆえに節制をするのではないか。つまり、それらの人々はより大きな快楽を失うのを恐れ、て目の前のささいな快楽を我慢するのではないか。それは、快楽を得ようとすることに支配されているうえでの節制にすぎない。彼らは、よりぜいたくをしたいがために節制するのである。不合理ではないかね」
(シミアス)
「はい、そのようです」
(ソクラテス)
「快楽と快楽を交換し、苦痛と苦痛を交換するというのは、徳を得るための正しい道ではないのではないか。知恵をもとにこれらのものが判断されなければそれは徳とはいえない。節制・正義・勇気などは知恵により導き出された純粋なものでなければならない。
私は、人生において何事もおろそかにせず、あらゆる努力してきた。それが正しかったかどうか、何事かを成し遂げてきたかどうかは、もうすぐ向かうあの世界で明らかになるだろう。シミアス君・ケベス君これが私の言いたかったことだ。私は、この世の君たちやこの世の神々と去らなければならないことに苦しみも嘆(なげ)きもない。あの世でも善い友達や神々に会えると信じているからだ」

今度はケベスが言いました。

(ケベス)
「あなたの言われることは良くわかりました。しかし、多くの人々は、魂は肉体から切り離されると煙のように消えて滅び去ってしまうのではないかと思っているのです。魂が死後も存在し続けるということについては、もう少し明確な論理と証明が必要なのではないでしょうか」
(ソクラテス)
「君のいうとおりだ。このことについてもう少し話をしよう」
(ケベス)
「ぜひ、お願いいたします」
(ソクラテス)
「私は言論をもてあそぶようなことはしない。徹底的に考察していこう。昔からの言 い伝えに、死んだら魂はあの世に行き、しばらくそこで過ごし、再びあの世からこの 世にもどり、新たな人間に宿り生まれ変わるというものがある。これが真実だとする ならば、われわれの魂は、死後もしばらくの間あの世に存在するということになるな。 なぜなら、あの世に存在しないとしたら、新たな肉体に生まれ変わることなどできな くなるからだ。それゆえ、もし生きている者たちが死んだ者たちから生まれてくるこ とが明らかになれば、魂が死後あの世に存続することが証明できるはずだ」
(ケベス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「ではこのことは人間だけではなく動物・植物にもあてはまることなのか、さらにお よそこの世のすべてのものはそのようにして生じるものなのかを考察していこう。
 考えるに、およそすべてのものは反対のものから生じるのではないか。美は醜(み にく)いものから、正は不正から。そのほかにもたくさんの例をあげることができる。 当然逆の場合もある。また、たとえば何かがより大きくなる時は、必ず以前により小 さな状態があって、そこから後に大きくなったのではないのか」
(ケベス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「同様に、あるものが小さくなるならば、以前のより大きな状態から後により小さく なったはずだ」
(ケベス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「また、同じようにより強いものから弱いものが生じ、より遅いものから速いものが 生じるのだな」
(ケベス)
「まったくそのとおりです」
(ソクラテス)
「では、何かがより悪くなるならば、それはより良い状態からで、より正しくなるな らより不正な状態からではないか」
(ケベス)
「そうです」
(ソクラテス)
「すべてのものは、反対のものがそれとは反対のものから生じるということに納得 したということでいいな」
(ケベス)
「たしかに」
(ソクラテス)
「次に、この生じることつまり生起(せいき)には二つの相対するものがからむので その仕方は二通りあるな。例えば、大から小へという生起と小から大への生起という 二種類のものがあるということだ」
(ケベス)
「はい」
(ソクラテス)
「このことは、分離と結合、冷と熱など現実にはあらゆるところで見られることだな」
(ケベス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「目覚めている状態の反対が眠っている状態である。それなら、生きていることに対 しての反対のものとは何かね」
(ケベス)
「死んでいることです」
(ソクラテス)
「それでは、この生と死は反対のものであるから、相互から生ずるものだな。二種類 の生成(せいせい)があることになるな。つまり生から死が生まれ、死から生が生ま れるのだな」
(ケベス)
「そういうことになります」
(ソクラテス)
「それならもう一度君に聞くが、生きているものから生ずるものは何かな」
(ケベス)
「死んでいるものです」
(ソクラテス)
「それでは死んでいるものからは何が生ずるかね」
(ケベス)
「生きているものと言わざるをえません」
(ソクラテス)
「つまり、死んでいるものから生きているものたちや生きている人間が生まれるのだ ね」
(ケベス)
「そう思われます」
(ソクラテス)
「それならわれわれの魂は、あの世に存在していることになるな」
(ケベス)
「そのようです」
(ソクラテス)
「それでは今度は生と死が生じる過程(かてい)について考えてみよう。生から死が 生ずること、生きているものが死ぬということは明白だね」
(ケベス)
「はい」
(ソクラテス)
「それでは逆に死から生が生ずる過程とはどういうものかね」
(ケベス)
「死者が生き返るということです」
(ソクラテス)
「生き返るということは、死んだものの魂はどこかに存在し続けなければならないと いうことの十分な証明となるな」
(ケベス)
「今までの話の流れからはそのようになります」
(ソクラテス)
「そしてもしも、この生成(せいせい)過程が一方から他方へ行き、そしてまた元に 戻るという円環(えんかん)的なものではなく、向きを変えることのない直線的な一 方向的なものなら、万物はやがてはすべて同じもの、同じ状態となり、生成すること をやめてしまうよな」
(ケベス)
「どういう意味ですか」
(ソクラテス)
「別にむずかしいことではないよ。人は眠りには入るが目覚めるということがなけれ ば、この世は眠った人だけの世の中になってしまうのではないか。また、すべてのも のが結合はするが分離はしないというならこの世のものは一塊(かたまり)になって しまう。生きている者が死ぬだけならこの世は死者だらけになる。また、もし生者が 死者以外から生まれるとしたら、すべてのものがいつかは消費し尽くされてしまうの ではないか。それを防ぐ手段でもあるのかい」
(ケベス)
「いいえ、ありません」
(ソクラテス)
「生き返るということも生きている者が死者から生まれることも、死者の魂が存在す ることも事実なのだ」
(ケベス)
「確かにソクラテス、いつもあなたは、われわれが学習するということは、実は想(お も)い出すことであると言っておられます。これが真実なら、想い出したことを以前 どこかで学んでいなければなりません。それならこの魂が現在の肉体に入り込む前に どこかに存在していなければなりません。このように考えると魂とは不死なものであ ると思えてきます」

するとシミアスが口をはさんだ。

(シミアス)
「確か、その証明もなされたはずです。どのように証明されたかは思い出せませんから、もう一度確認したいものですが」
(ケベス)
「最も納得できる証明は、人が上手に質問するならそれに対して誰でも真実とはどう であるかを自力で答えることができるということであったと思います。それは、人が あらかじめそれに関する知識や正しい認識を持っているからであるといいます。事実、 ある召使いが幾何学の証明を自力で成し遂げたという例も聞いたことがあります」
(ソクラテス)
「シミアス君、ケベス君、まだ十分納得できていないのなら、どのようなことが説明されれば納得できるのか言ってくれ」
(シミアス)
「いいえ、信じていないというわけではありません。ただ、私はその想い出すという ことを実際に自分で経験してみたいのです。また、その証明についてソクラテス、あ なた自身の口からもう一度聞きたいのです」
(ソクラテス)
「分かった。それでは始めよう。もし誰かがあることを想い出したとしたならば、そ れはそのことを彼は以前に知っていたのでなければならないな」
(シミアス)
「もちろんそうです」
(ソクラテス)
「それでは、もし誰かが何かを見たり、聞いたりあるいは別の感覚でとらえた時、そ の対象を認めるだけでなく、他の別のものを想い浮かべたとしたら、この両者には同 一でなく別の知識が存在するのだから、この想い浮かべた別のものは、想い出したも のであるということになるのではないだろうか」
(シミアス)
「どういう意味でしょうか」
(ソクラテス)
「たとえば、人間に対する知識と竪琴(たてごと)に対する知識は別のものだね」
(シミアス)
「もちろんです」
(ソクラテス)
「それなら、ある女性が竪琴を見ることによって、いつもそれを用いて演奏を行って いた、あこがれの青年を想い浮かべたとする。これが想い出すということなのだ。ま たシミアス君を見てその友人であるケベス君を想い浮かべるようなことも同じだ。こ のような例はいくつもあるだろう」
(シミアス)
「はい、無数にあります」
(ソクラテス)
「それが想い出すということではないかね。特に、すっかり忘れていたことに、ある 別の物を見て気づき考える時なんかがそうではないかね」
(シミアス)
「はい、そのとおりです」
(ソクラテス)
「それではそのもの自体ではなく、絵に描かれた竪琴でもって青年を想い出したり、 シミアス君の似顔絵を見てその友人であるケベス君を想い出すこともあるのではない かね」
(シミアス)
「はい、あります」
(ソクラテス)
「描かれたシミアス君を見て、シミアス君自身を想い出すことも当然ありうるね」
(シミアス)
「はい、あります」
(ソクラテス)
「また、想い出すということは、似ているものを見て想い出す場合だけではなく、似 ていないものを見て想い出すという場合もあるのではないかな」
(シミアス)
「はい、あると思います」
(ソクラテス)
「しかし、誰かが何か似ているものからあるものを想い出す場合は、想い出したもの がその想い出すきっかけとなったものと似ている点についていろいろと考えたからだ ろうな」
(シミアス)
「はい、考えたからだろうと思います」
(ソクラテス)
「その時、われわれは両者に何か等しい点があると言うだろうね。ただ注意してくれ よ。私が言いたいのは単に両者の姿や形などが似ているというような外面的等しさか ら判断したということを言っているのではないのだ。その両者が持つ、本質的な性質 のようなものが等しいと考えたと言いたいのだ。そこで、その本質の等しさを、単な る「等しさ」ではなく「等しさそのもの」と呼ぶようにしよう。ところでシミアス君 はこのような「等しさそのもの」というような概念は存在すると思うかい。あるいは、 存在しないと思うかい」
(シミアス)
「私は、あると思います」
(ソクラテス)
「そしてわれわれは、「等しさそのもの」とは何であるかを知っているのかい」
(シミアス)
「知っていると思います」
(ソクラテス)
「ではこの「等しさそのもの」というような知識はどこから得たのであろうか。それ は、今まで話してきた事柄からではないであろうか。これらの現実にあるよく似てい るものを見て、外面的なものではなく、本質的なものが等しいという概念としての「等 しさそのもの」を考えるにいたったのではないかい」
(シミアス)
「はい、確かにそうです」
(ソクラテス)
「それでは、ある同じような石材を見てそれらがある人には等しく見えて、ある人に は等しく見えないということがあるのではないかね」
(シミアス)
「はい、あると思います」
(ソクラテス)
「それに対して、君が「等しさそのもの」というものが等しくなく見えたり、「等しい 性質そのもの」が「等しくない性質」に見えたことが今まで一度たりともあるかね」
(シミアス)
「決してありません」
(ソクラテス)
「つまり、これらの等しいと思える事物と「等しさそのもの」は同一ではないね」
(シミアス)
「はい、同一であるとは思われません」
(ソクラテス)
「しかし、この等しいと思える事物から、それとは一見同じように思えるが、明らか に異なる「等しさそのもの」という知識・概念を考えつき、獲得したことになるな」
(シミアス)
「はい、そういうことになります」
(ソクラテス)
「その場合、思いついたものは、その機縁(きえん)となったものに似ているか似て いないかのどちらかだね」
(シミアス)
「そうです」
(ソクラテス)
「だが、似ていようが似ていまいがどちらでもかまわない。要はこのものをきっかけ として何か別のものを考え付いたということが大事なのだ。それが想い出すというこ となのだ」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「では、石材などの具体的なものや事柄が似て見える時は、「等しさそのもの」と同じように等しいのか、それとも「等しさそのもの」より何か不足しているのかどちらだい」
(シミアス)
「不足していると思います」
(ソクラテス)
「では、誰かが「何か」を見て、その「何か」は別のものになろうと望んでいること が分かったとする。しかし、そのなろうとするものに対してその「何か」は劣ってい るためそれにその望んでいるものになることができそうにない。そのような時、それ を理解している者は、その「何か」を見たたけで、そのものがなろうとしているもの をあらかじめ知っていなければならないはずだな」
(シミアス)
「はい、そのとおりです」
(ソクラテス)
「それと同じことを、われわれは等しい事物と「等しさそのもの」について経験して いるのではないかね」
(シミアス)
「はい、経験していると思います」
(ソクラテス)
「つまり等しい事物が「等しさそのもの」になろうとするが劣っているがゆえになれ ない。その時われわれは、あらかじめ「等しさそのもの」が何であるかを知っていな ければならない。あらかじめとは、等しい事物が「等しさそのもの」になりたいと願 うが、不足しているためなれないということをわれわれが認識する以前からだ」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「また、「等しさそのもの」を考え付くのは、等しく思える事物を見たり、触れたりす ることにより、生まれてきた感覚だよな」
(シミアス)
「そうです」
(ソクラテス)
「ということは、似ているなという感覚が生まれる以前に「等しさそのもの」に対す る知識をどこかで得ていたのでなければならないな」
(シミアス)
「今までの話からするとそのようになります」
(ソクラテス)
「さて、われわれは生まれるとすぐに、見たり、聞いたり、その他もろもろの感覚を 用いたのではないか」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「だが、われわれの主張では、それらの感覚を用いる以前に「等しさそのもの」の知 識を得ていたのでならなければなかったわけだな」
(シミアス)
「そうです」
(ソクラテス)
「ということは、われわれは生まれる以前にそれらの知識を得ていなければならなか ったことになるのだな」
(シミアス)
「そう思われます」
(ソクラテス)
「そして、その知識とは、「等しさそのもの」だけでなく、「大そのもの」「小そのもの」 いやそればかりでなく「美そのもの」「善そのもの」「正義」などについても同じでな ければならないな。なぜならすべて「まさにそのもの」というものにみんな関わって いるからだ」
(シミアス)
「そうです」
(ソクラテス)
「そして、その知識を持っているということは、それを知りながら生まれて、生涯そ れを知り続けているのでなければならない。だが、われわれが生まれる前に知識を獲 得しながら、それを生まれるやいなや失ったとするならば、そして後にその知識の対 象についての感覚を用いながら以前持っていた知識を再び把握するのだとしたら、学 ぶとは再度把握すること。つまり想いだすということになるのではないかね」
(シミアス)
「たしかにそうです」
(ソクラテス)
「あるものを見たり、聞いたりして何か他の物を考え付くということは、それをわれ われは知りながら生まれてきてずっと認識していたか、あるいは、学んだといってい るが実は想いだしたかのどちらかだ」
(シミアス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「それなら、われわれは知りながら生まれてくるのか、それとも以前に知識を得てい た事柄をあとで想いだすのか、どちらかい」
(シミアス)
「それはわかりません」
(ソクラテス)
「何かを知っている人は、それについて説明できるかできないかどちらなのだ」
(シミアス)
「当然できます」
(ソクラテス)
「それなら今しがた議論していた事柄について、すべての人が説明できると思うかね」
(シミアス)
「そうあってほしいですが、決してそうではないと思います」
(ソクラテス)
「シミアス君、すべての人がそれを知っているとは思わないのだね」
(シミアス)
「はい」
(ソクラテス)
「それでは、彼らはかつて学んだことを想いだすのだね」
(シミアス)
「そうでなければなりません」
(ソクラテス)
「それではわれわれは、いつその知識を身につけたのかね。生まれて以降なのか」
(シミアス)
「以降ではありません」
(ソクラテス)
「以前か」
(シミアス)
「そうです」
(ソクラテス)
「それならシミアス君。魂は生まれる前に肉体から離れてすでに存在し、知力ももっ ていたことになるのか」
(シミアス)
「生まれると同時にその知識持ったのではないとすると、あなたの言われるとおりで す」
(ソクラテス)
「生まれると同時にその知識を得たとするなら、その知識をわれわれは、いつ失うの かね。君の言うことによると、持ちながら生まれるのではないから、獲得したときに 失うのかね」
(シミアス)
「いいえ、気づきませんでした。私は無意味なことを言ってしまいました」
(ソクラテス)
「もし、いつも話続けているような「美」や「善」やすべてのそういった実在がたし かに存在し、かつそれらをかつて自分自身が認識していたことを、今、感覚によって 事物をとらえて、そこでそのものと関連付けて「美」や「善」との類似などを考察で きるなら、「美」や「善」も存在しかつわれわれの魂も、われわれが生まれる以前に存 在していたのでなければならない。もちろん、「美」や「善」やすべてのそういった実 在が存在しないというなら、これらの話はすべて空しいものとなる。これらが存在す るというなら、魂も生まれる前に存在し、存在しないというなら、魂も生前に存在し ないということになるのではないか」
(シミアス)
「はい、両者の関連は必然だと考えます。私は、「美」や「善」などの本質が存在する ことは、全く疑っておりませんので、魂が生前に存在するということは、自分にとっ て疑う余地のないこととなりました」
(ソクラテス)
「ところで、ケベス君はどう思っているのかな」

    シミアスが先に答えました。

(シミアス)
「十分納得したのではないかと思いますよ。彼は議論に対してはひじょうに頑固(が んこ)な人間ではありますが、さすがに、われわれには生まれる以前に魂が存在して いたということには納得していると思います。ただ、われわれが死んだ後にも魂が存 続するかという点については、彼は納得しているかどうかは分かりません。事実、私 もその点については、納得しきれていません。ひょっとしたら死ぬと同時に魂も散り 散りになって消え去ってしまうのではないかという不安や恐れがまだあります。魂が どこか他のところで生まれ、そこからやってきて肉体に宿ることは認めるとしても、 それと魂が死後も存続し続けることとは直接関わりがなく、魂は滅ぶものだと考えて も何の差支えもないように思えます」

  今度はケベスが話し始めた。

(ケベス)
「シミアス君の言うことはもっともです。生まれる以前に魂が存在したということは、 私の証明してほしいことの半分にすぎません。死後も生まれる前と同様に魂が存在し 続けるといいうことが証明できてこそ、このことの証明は完成すると考えます」
(ソクラテス)
「人間は生まれる以前に魂として存在し、そこで認識したことを生まれた以降に想い 出すのだということと、生者は死者から生まれると先に証明したことを結びつけるな ら、死後魂が存続するということは実はもう十分証明されていることなのだ。なぜな ら、生まれる前に魂が存在し、その魂は、死者からしか生じないなら、死後魂が存続 することは必然なことだと思う。ただ二人はこの議論をもっと徹底的に行いたいなの だろう。そしてまるで子供のように、嵐の日に死んだら、魂は散り散りになってしま うのではないかということを恐れているのだよね」
(ケベス)
「是非、死をまるで子どものように恐れているわれわれをどうか説得してください。 あなたは間もなくここを去られます。今後このような恐怖を誰がわれわれから追い払 ってくれるのでしょう」
(ソクラテス)
「ギリシャは広い。優れた人間を捜してその答えを求め続けてくれ。そのためにはど んな苦労も金銭も惜しんではならない。ただ君たち以上にこのことに精通している人 を捜すのは、かなり大変なことだと思うよ。
さて、魂が散り散りになることを不安に思っているみたいだが、この散り散りになるという状況はどのようなものにふさわしいのか、何ゆえこの散り散りになることを恐れるのか、どのようになれば恐れる必要がなくなるのか。そもそも魂は、滅ぶものなのか不滅なのか、そのどちらに属するのかを考察しなければならない。それが分かってから恐れるなり、安心するなりしたらいい」
(ケベス)
「はい、そうします」
(ソクラテス)
「さて、合成されてできたものは、分解されるのがふさわしいが、合成されてできた ものでないものは、分解されるということはふさわしくないのではないか」
(ケベス)
「はい、そうだと思います」
(ソクラテス)
「それでは常に自己同一性を保ち、いつも同じようにあるものが合成されたものでは なく、そのあり方を変え自己同一性を保たないものが合成されてできたものだと言え るな」
(ケベス)
「はい、私にはそう思われます」
(ソクラテス)
「それなら前にあげた「等しさそのもの」「美そのもの」のような実在そのものは、単 一のものであり、それ自身だけであるものであるから、いかなる時も自己同一性を保 ち、変化など受け入れるものではないね」
(ケベス)
「はい、変化することなどありません」
(ソクラテス)
「それでは「美しい人間」とか「美しい馬」とか、「同じような木材」とか「同じよう な石材」とかはは自己同一性を保つのか。いつも同じ状態を保ち続けるのか」
(ケベス)
「いいえ、決して保ちません」
(ソクラテス)
「ところで、こういう事物は目で見たり手で触れたりできるが、自己同一性を保つ「美 そのもの」などは思考の働きでとらえられるだけで、実際に見たり、聞いたりなどの 感覚でとらえることはできないな」
(ケベス)
「あなたのおっしゃるとおりです」
(ソクラテス)
「それでは、よければ存在するものを二つに分けよう。一種類は目に見えるもの、も う一種類は目に見えないものに」
(ケベス)
「はい、分けましょう」
(ソクラテス)
「そして目にみえないものは常に同一のあり方を保つものであり、目に見えるものは 決して同一のあり方を保たないものであるとしよう」
(ケベス)
「その点もそう決めましょう」
(ソクラテス)
「それでは、われわれの一部分は肉体で他の部分は魂だな」
(ケベス)
「そうです」
(ソクラテス)
「では、肉体は今われわれがあげた分類のどちらにより近いと思うか」
(ケベス)
「目に見えるものにより近いと万人が認めるでしょう」
(ソクラテス)
「では、魂はどうか。目に見えるものか、それとも見えないものか」
(ケベス)
「少なくとも、人間には見ることはできません。見えないものです」
(ソクラテス)
「それなら、魂は不可視(ふかし)なものだね」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「つまり、魂は肉体より不可視なものにより近く、肉体は目に見えるものにより近いのだな」
(ケベス)
「まったく、そうでなければなりません」
(ソクラテス)
「ところで、われわれは魂が何かを考察(こうさつ)する時、視覚、あるいは聴覚という肉体の器官をとうして考察する。その時、魂は肉体によって同一のあり方を保たないものの方へ引きずりこまれて、魂はめまいを覚え、酔ったようになるといっていいのではないかな」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「だが、魂が自分自身だけで考察する時には、魂は純粋で永遠で常に同一のあり方にあるものだけの世界に赴(おもむ)くのである。そしてそこで常に変わらないものと関わり、さまようのをやめて、いつも恒常(こうじょう)的な魂の姿を保つのである。魂のこの状態こそが知恵なのであるのではないか」
(ケベス)
「私も、それには納得します」
(ソクラテス)
「では、以上のことから考えると魂は、常に同じようにあるものか、あるいは絶えず変わるもののどちらに近いか」
(ケベス)
「誰が考えても今までの会話から判断すれば、魂は常に同じようにあるものに近いと結論づけるに違いありません」
(ソクラテス)
「では、肉体はどうなるのか」
(ケベス)
「もう一方の絶えず変化するものに近いと結論づけます」
(ソクラテス)
「また、魂と肉体が一人の人間のうちにある時、自然は、魂は支配する主人であることを、また、肉体は奉仕し仕える奴隷であることを命ずるのだ。このことからどちらが神的なものに似ていて、どちらが死すべきものに似ていると思うかい。神的なものとは、支配し導くもので、死すべきものとは、支配され奉仕するものとは思わないかい」
(ケベス)
「そのように思います」
(ソクラテス)
「それでは、魂はどちらに似ているのかい」
(ケベス)
「もちろん、明らかに、魂は神的なものに、肉体は死すべきものに似ています」
(ソクラテス)
「それでは、魂とは神的で不死で、分解されず常に同一なものであるものに最も似ていて、肉体とは人間的で可死的で多様な形をもち、無思慮(しりょ)で分解可能で常に同一ではないものに最も似ていると言っていいのではないか」
(ケベス)
「はい、そう言わざるをえません」
(ソクラテス)
「そうであれば、肉体は速やかに解体されることが、魂は解体されえないことが、またはそれに近いことが最もふさわしいことではないのか」
(ケベス)
「はい、そうではないとは私には思えません」
(ソクラテス)
「目に見える肉体とは、人が死ねば分解し雲散霧消(うんさんむしょう)するもので ある。しかし、現実にはすぐそのようになるのではなく長い間、徐々にかたちを変え ていくとはいえど残っていく。仮にミイラ化でもされようものなら何百年もこの世に かたちとして残り続ける。さらに骨などは、まるで不死であるかのようにさらに残り 続ける」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「それなのに、目に見えない、高貴で純粋で神々のもとに行く魂が、肉体と離れれば たちまち吹き飛ばされて滅びてしまうのか。いや違うであろう。魂が純粋なかたちで 肉体から離れたら、魂は肉体的要素を引きずることなく存続するのだ。肉体を避け自 分自身に集中していた魂は、むしろ平然として肉体から離れるのだ。哲学するとはま さに、死によって魂が肉体から離れる練習をしていたのだ。哲学とは死の練習にほか ならないのではないか」
(ケベス)
「はい、そのとおりです」
(ソクラテス)
「そのような状況の魂は、神的なもの、不死なるもの、賢いものの方へ行き、恐怖や 凶暴(きょうぼう)や情欲(じょうよく)から解放される。そして神々のもとで幸福 な時を過ごすのではないか」
(ケベス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「これに反して、魂が浄められずに汚れたまま肉体から解放される場合がある。肉体 を愛し、食べたり飲んだり性の快楽におぼれたり、それら以外の肉体的でないものは 何一つ真実と思わなかった魂などがそうである。このような魂は、肉眼には見えない もの、しかし哲学によっては把握されるもの、このようなものを逆に憎み避けてきた のである。このような魂が、自分自身となり純粋な姿で解放されるようになると思う かね」
(ケベス)
「いいえ、思いません」
(ソクラテス)
「こういう魂は、肉体にあまりにも慣れ親しみすぎたため、肉体との交わりが強く、 たえず肉体とあり、肉体にとらえられているのだ」
(ケベス)
「まったくです」
(ソクラテス)
「魂にとって、肉体的なものは重荷なのである。このような魂は肉体によって目に見 える場所に引きずり込まれる。また、このような魂は墓の回りをうろつくのである。 これは魂が浄化されることなく肉体から切り離された結果である。墓のまわりに幻影 (げんえい)が見られるのはそのためである」
(ケベス)
「確かに、それはありそうなことです」
(ソクラテス)
「そしてこのような魂は、善い人間の魂ではなく、卑しい人間の魂である。これらの 魂は生前の生活が悪かったので罰を受けるために、このようにわれわれの回りをうろ つかされているのである。そして、彼らに付きまとう肉体的な欲望によって再び肉体 の中に引き込まれるまでさまよい続けるのである。そしてまた、以前と同じような性 格の肉体の中に入り込むのである」
(ケベス)
「たとえば、それはどのような肉体なのでしょうか」
(ソクラテス)
「あえて言うなら、大食・好色・酒びたりの人間の魂は、ロバなどの獣の中に入って いくのが似つかわしいとは思わないか」
(ケベス)
「似つかわしいと思います」
(ソクラテス)
「また、不正・独裁政治・略奪を行った者の魂は、狼や鷹(たか)の中に入っていく のが似つかわしいのではないか」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「その他の人間の魂もそれぞれに似つかわしいところに入っていくね」
(ケベス)
「はい、そうだと思います」
(ソクラテス)
「今まであげてきた一般の人たちの中で最も幸福な者たちは、市民の公共の徳を実践 してきた人たちではないかね。その徳とは思慮とか正義とかと呼ばれるもので、たと え、哲学をしなくても習慣や訓練で身に付けられるものだ」
(ケベス)
「なぜ、彼らが最も幸福なのですか」
(ソクラテス)
「なぜなら彼らは、ミツバチとかアリのような種族の中に、あるいはまた再び人間の種族の中に生まれ、慎みある品のよい人間となるからだ」
(ケベス)
「きっと、そうであるに違いありません」
(ソクラテス)
「しかし、神々の中に生まれるには哲学をして魂を浄化した者でなければ不可能だ。だから本当の哲学者はすべての肉体的欲望を避けるのだ。それは、破産や貧乏が怖いからでも不名誉や悪い評判を恐れるからでもない」
(ケベス)
「彼らにとって金銭や名誉など相応しいものではありません」
(ソクラテス)
「だから自分の魂にいくらかでも気をかけている人間、肉体の手入れをしながら生き ているのではない人は、肉体だけに執着する連中には別れを告げるべきだ。どこへ行 くかも分からない連中と同じ道は歩むべきではない。哲学に従い、哲学が導く方向に 向かって歩むべきなのである」
(ケベス)
「そのためには、どのようにすればよいのですか」
(ソクラテス)
「人の魂は元来、肉体に縛り付けられ、糊(のり)付けされているようなものだ。そのような魂は、肉体をとおして考えることをいつも強いられ、決して魂自身でものを考察しようとしない。それゆえ、魂はひどい無知の状態にあるのだ。そのうえ、本人自身が肉体の協力者なので、このことに魂自身は気づけない。この状態を見抜くのが哲学なのである。哲学はこのような魂を、おだやかに解放しようと努力してくれるのだ。目や耳などの肉体をとおしての考察は偽(いつわ)りに満ちていることを哲学は示してくれる。そして哲学は、肉体から魂が退くように説得し、それ自身であるものを魂自身が肉体を用いず把握するように促(うなが)すのである。目の前の移り変わるものは真ではないことを悟らせるのである。それゆえ哲学者は、快楽や情欲や恐怖をできる限り抑制するのである。そうしないと最大の悪徳を蒙(こうむ)ることになりかねないからである」
(ケベス)
「それでは、最大で究極的な悪とは何ですか」
(ソクラテス)
「魂は激しい快楽や苦痛を与えられると、そのものを与えてくれるものこそが真実と考えるようになってしまう。それは目に見えるものであり真実などではないのだが」
(ケベス)
「まったくです」
(ソクラテス)
「この時、魂は最も強く肉体に縛り付けられているのである」
(ケベス)
「なぜですか」
(ソクラテス)
「どんな快楽や苦痛でも釘のようなものを持っていて、魂を肉体にくぎ付けにしてしまい、魂を肉体の性質を帯びたものにしてしまう。その結果、魂は肉体が肯定することなら、何でも真実だと思い込むようになってしまう。そのような状況では、魂は肉体に縛り付けられたままでこの世を去らなければならなくなり、そのままではあの世へは到達できない。その結果、同じような肉体の中にまた入り込み、神的なもの、純粋なものには決して交わることも、関わることもできなくなるのである」
(ケベス)
「あなたの言われることは真実です」
(ソクラテス)
「このことが示すように、学ぶことを愛する人々は立派(りっぱ)で勇敢なのだ。哲学者の魂ならば、今まさに解放されようとしている時、あえて快楽や苦痛に自分の身をまかせて肉体に縛り付けられようとすることがあるであろうか。いや、彼らの魂は平安を獲得し、真なるもの、神的のものと絶えずともにあろうとするであろう。そして死後には神的なもののもとに到着し人間的な悪から解放されるのだ。魂が正しく育まれていれば、何も恐れることはないのだ。そのような魂は、肉体から分離されるのに際して、引き裂かれ、雲散霧消するようなことはないのだ」

  しばらく沈黙が続いたが、シミアスとケベスは小声で何かを話始めた。

  (ソクラテス)
「さっきからケベス君とシミアス君は何か話をしているようだが、今までの議論に、もし、まだ不十分な部分があれば私に言ってくれ」
(シミアス)
「実はあるのですが、こんな時にあなたに尋ねるべきことか、不愉快(ふゆかい)な思いをされるのではないかと二人で心配していたのです」
(ソクラテス)
「君たちはまだぼくが今不幸だと感じていると思っているのかい。君たちさえそう思っているとしたら、人を説得するのはむずかしいことだとあらためて思わされるよ。白鳥は死ぬ前に美しく鳴くと言われているが、それは死の意味を知っているからなのだ。決して死をなげいているわけではない。神のもとへ行く喜びの声をあげているのだ。ところが人間は死を恐れているから、その苦痛から叫ぶのだというが、白鳥は寒さに凍えたりしそうな時に決して歌うことなどないのだ。私も白鳥と同じような気持ちだからどうぞ遠慮しないで聞きたいことがあれば聞いてくれ」
(シミアス)
「ありがとうございます。それなら話をさせてください。確かにこの種の話についてはこの世で明確な知識をえることは不可能に近いと思います。ただ、だからといってあきらめてしまうことは、人間としてあるべきではないことと考えます。いろいろな方法を使い工夫して指針(ししん)を見つけねばならないと思います。あとで、後悔することのないようにしていきます」
(ソクラテス)
「じゃあ、具体的に話を進めてくれ」
(シミアス)
「竪琴からかなでられる和音は、非物質的で美しく神的なものです。一方、竪琴は物体で合成物で土の性質をもち死すべきものの仲間です。ところが誰かがその竪琴をバラバラに壊してしまうとしましょう。すると竪琴は死すべきものであるのにその残骸(ざんがい)は依然(いぜん)として残っています。それなのに、不死なはずの和音は失われてしまいます。いや和音は依然としてどこかに存在しているはずだ、そして死すべき竪琴は、魂が何かを蒙(こうむ)る前に腐って完全に無となるはずだとおっしゃるでしょう。肉体は熱・冷、乾・湿などの相反するものの緊張状態に置かれながらもバランスを保っています。われわれは、魂とは肉体のこれら諸要素を調和させて秩序だてているものではないかと思っています。だから肉体がバラバラになった時、魂も失われるのではないですか。魂が失われたあとも身体の残骸はしばらく残りつづけるのです。このような主張はおかしいでしょうか」
(ソクラテス)
「シミアス君の言うことは一見正しいようにも思える。ただ、このことを考察する前 に、ケベス君が疑問に思っていることも聞いてみよう。そして二人の言うことを一緒 に、今一度考察してみようではないか」
(ケベス)
「私は、人間の魂がこの世に肉体をもって生まれ出る以前に存在したということは、 十分証明されたとして異存はありません。ただ、死後にもその魂が存在し続けるかど うかについては未だ疑問が残っています。ただ、シミアスが言うように魂は肉体より 強くもなく、長生きもできないとは思っていません。魂はこれらすべての点において、 肉体より強く、長生きだと私は思います。
それなら、人間の死後肉体の残骸(ざんがい)が長期間残る以上、魂が、それがな くなる以前に消えてしまうことなどあり得ないと言われると思います。しかし、それなら、ある機織りの老人が死んだとき、彼が生前織った衣服は滅亡せずに残っているから、機織りもどこかで元気にしているということになります。なぜなら、機織りの種族と彼らによって織られた衣服のどちらが長命なのかと問われたら前者と答えざるを得ないからです。たしかにこの機織りは今まで何着もの衣服を作っては着つぶし、また作っては着つぶしてきたのです。そして最後の一着より先に滅び去ったのです。
人間が衣服よりまさり、強いことは当然だと思います。このことは人間と肉体についても言えることではないかと思います。人間の魂は、いくつもの肉体を着つぶしてきたのです。一つ一つの肉体よりはるかに長い間魂は存続し続けてきたのです。仮に偶然最後の肉体より先に魂が消えたとしても魂が肉体より短命だということにはならないでしょう。しかし、このことが魂が肉体の死後にもどこかに存在するという確証にはならないと考えます。魂が何度も肉体の衣を変えるうちにしだいに衰弱していき、ついには今回が最後で滅びてしまうということがないと言えるのでしょうか。もし、魂の不死が証明できないなら、われわれは死を恐れなければならないのではないですか」
(エケクラテス)
「パイドン、ソクラテスの力強い話を聞いて、魂の不死に確信が持てそうだったのですが、シミアスの魂は和音の調和のようなものではないかという話によって、以前の自分の考えを思いだし、魂の不滅の確信がまたゆらいできました。どうか、その後ソクラテスが話されたことを、その様子も含めて、すべて話してはいただけないでしょうか」
(パイドン)
「あの時のソクラテスはいつにもましてわれわれの議論を喜び楽しんでおられました。その議論によってわれわれ一人ひとりがどのような精神状態になったかも見抜かれていましたし、われわれが議論の中でとまどうと見事に元の議論に引き戻し、考察の手助けをしてくださったのです」
(エケクラテス)
「いったい、どのようにしてですか」
(バイドン)
「それではお話ししましょう。あの方は、私の髪をなでながら次のように言われたのです」
(ソクラテス)
「明日になれば、パイドン君、君はこの美しい髪の毛を切ることになるだろうね」
(パイドン)
「多分、そうなることでしょう」
(ソクラテス)
「だが、ぼくの言うことに従えば、そうはならないよ」
(パイドン)
「それでは、何をしろとおっしゃるのですか」
(ソクラテス)
「もし、この魂が不滅だという議論にわれわれが確証を示せなくなって、議論を発展させることができなくなったら、ぼくも君も今ここで髪の毛を切らなければならないだろう。そして君は、シミアス君とケベス君にこの議論で勝利するまでは、その髪を伸ばすことはできなくなるだろう」
(パイドン)
「でも、二人を相手にして私は勝利することができるでしょうか」
(ソクラテス)
「日の光があるうちは、ぼくを助けに呼べばいい。ただ、あることには絶対とりつかれないように注意してくれ」
(パイドン)
「どんなことにでしょう」
(ソクラテス)
「どんなに議論をしていっても議論ぎらいにだけはならないようにしようということだ。というのは、人間は信頼している人に繰り返し裏切られると人間不信、人間嫌いに陥(おちい)ってしまう。言論が嫌いになることほど人間にとって大きな災難はないと私は考えるからだ。君は、そんなことを考えたことはないかね」
(パイドン)
「いや、考えていますし、気づいてもいます」
(ソクラテス)
「議論することが嫌いになるることは恥ずかしいことだ。人間不信は人間がどのようなものか知らないで付き合うことから生ずるのだ。もし、知っていれば人間とはそのようなものだと判断できたのではないか。第一、人間のなかで、悪人とか善人はわずかで、ほとんどが中間のどちらでもない人間のはずだ」
(パイドン)
「それは、どういう意味でしょう」
(ソクラテス)
「人間にせよ動物にせよ、極端(きょくたん)に小さいものや大きいものを見つけ出すことはまれなことだ。また、極端に速いもの、遅いもの、極端に美しいもの、醜いものについても同じだ。つまり、極端の先端にあるものはまれで、中間にあるものは豊富で多数だということだ」
(パイドン)
「もちろん、そうです」
(ソクラテス)
「では、もし、悪を競う大会があったら、1位になるのは少数であるね」 (パイドン)
「おそらく、そうでしょう」
(ソクラテス)
「しかし、言論においては多少事情が違う。悪にあたるものはいくらでもある。それゆえ、ある人がある言論を真実だと信じ込み、しばらくしてそれが偽りであったと思うようになったとする。そして再び他の言論を真実だと思う。そしてまた誤りだと知る。このようなことを繰り返していたら最後には自分は最高の賢者になったつもりになるのだ。事物には確実なものなど存在しないにもかかわらずだ」
(パイドン)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「このような心のありようは嘆(なげ)かわしくないか。この世には確かな言論が存在し、それを理解することもできるのに、時には真実に思え、時にはそうでない言論に出会ってきたがために、自分の責任に帰さず、言論自体に責任を押し付けて喜び、あげくのはては言論を憎むようになり真理から遠ざかっていくとすれば、いったいどうなのか」
(パイドン)
「本当に、なげかわしいことです」
(ソクラテス)
「それでは、そのようにならないように気をつけよう。言論に真実などはないということを思い込まないようにしよう。まず自分が十分な知識を持っていないことを自覚し、努力しようとしなければならない。ぼくは何も君たちに私の理論に同調してほしいなどとは思ってはいない。私の考えを押しつけようなどとの思いはない。ただ自分自身が納得したいだけだ。もし、死者にとって虚無(きょむ)だけが待ち受けているのみだと私が信じていれば、間もなく死を迎える私は、嘆き悲しんで周囲の君たちを不快にさせたり、迷惑をかけたりするだけだと思うからだ。魂の不滅の信念がゆるがないことが、君たちにとっても良いことだと思うのだ。ともかく、シミアス君とケベス君もこれからの議論には、なんの遠慮もすることなく、真理と思われれば同意し、そうでないと思えば反論してくれ。
それでは、話を進めよう。シミアス君が言いたかったのは、魂は肉体よりも神的で美しいものだが、調和の一種であるなら、肉体より先に滅びてしまうのではないかという懸念だったな。そしてケベス君が心配しているのは、魂はいくつもの肉体を着つぶし、確かに肉体より長く存続し続けるが、ついには最後の肉体をあとに残して滅んでしまうのではないか。これこそが魂の死ではないのかということだったな」
(シミアス・ケベス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「それでは君たちは、先ほどの議論の全部を受け入れないのかい。それとも一部は受け入れるのかい」
(シミアス・ケベス)
「あるものは受け入れますが、受け入れられない部分もあります」
(ソクラテス)
「それでは先ほど述べた、学習とは思い出すことで、そうであればわれわれの魂は肉体にしばりつけられる以前にどこか他の所に必ず存在したはずだと言ったことに対してはどうなのかね」
(シミアス・ケベス)
「その点については完全に納得しています」
(ソクラテス)
「シミアス君、君は、魂は肉体から合成された一種の調和だと言ったね。それなら、魂が存在する以前に肉体は存在していなければならないことになるのではないか」
(シミアス)
「そういうことになります。私の話はつじつまがあっていないことになります。私は、魂が調和であるという言葉を聞いた時、何となくその議論の美しさに引かれて、取り入れてしまいました。しかし、それは何ら証明されたようなことではありません。すっかりだまされていたのです。魂は調和などでないことに気づきました」
(ソクラテス)
「では、シミアス君、ここで考えてみよう。調和にせよ、その他一切の合成されたものにせよ、それらは、それを合成しているもののあり方とは違ったあり方をするということがふさわしいだろうか」
(シミアス)
「いいえ、ふさわしくありません」
(ソクラテス)
「また、その合成されたものが、何かを為したり為されたりする場合、それを合成したものがなしたりなされたりするのと全く関わりのない別のものをなしたりなされたりすることはないということだね」
(シミアス)
「はい」
(ソクラテス)
「それなら、調和とはそれを合成し、生み出したものを指導するのではなく、それらに従うというのがふさわしいことになるね」
(シミアス)
「はい」
(ソクラテス)
「そうすると、調和がそれを生み出したものと反対の運動をしたり、反対の音を出したりなど、反対のことをすることはありえないな」
(シミアス)
「はい、ありえません」
(ソクラテス)
「では、調和とは本来どのように調和づけられたかという仕方に従っての調和だな」
(シミアス)
「意味がよくわかりません」
(ソクラテス)
「では、聞き方を変えよう。より多く調和させようと思えば、より多くの調和が生じ、より少なく調和させようとすればより少ない調和が生ずるのかね」
(シミアス)
「はい、そのとおりです」
(ソクラテス)
「このことは魂にもあてはまるかい。ある魂がより多く魂であり、ある魂はより少なく魂であるというようなことがあるかい」
(シミアス)
「ありえないと考えます」
(ソクラテス)
「さてそれでは、ある魂は思慮や徳をそなえて善いものであり、ある魂は無思慮で悪徳をそなえ悪い魂とされる。このようなことはあるのか」
(シミアス)
「あると思います」
(ソクラテス)
「では、魂が調和であると主張する人は、魂の中にある徳や悪徳を何というのであろうか。これは別の調和・不調和をいうのであろうか。善い魂は、調和の状態の中に別のある調和をもち、悪い魂は不調和の状態の中に別のある調和自体を持っていないのであろうか」
(シミアス)
「私には、何とも答えることができません。しかし、魂が調和であるという人は、何かそのようなことを言うと思われます」
(ソクラテス)
「しかし先ほど、魂はある魂より、より多く魂であったり、より少なく魂であることはないことを確認したはずだ。それからすれば、ある魂が別の魂よりより多く調和であったり、より少なく調和であったりすることなどないはずだな」
(シミアス)
「そうです」
(ソクラテス)
「つまり、魂に調和において違いがないなら、より多く調和づけられることもより少なく調和づけられることもないのではないか」
(シミアス)
「はいそうです」
(ソクラテス)
「ということは、魂はより多くの調和を分け持つとか、より少ない調和を分け持つということがあるだろうか」
(シミアス)
「いいえ、ありません」
(ソクラテス)
「つまり魂は調和づけられているという点では、どんな魂にも差はないということだな」
(シミアス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「魂がそうであるなら、悪徳が不調和で調和が徳である以上、魂によって悪徳をより多くもったり、徳をより多く分け持ったりすることがあるであろうか」
(シミアス)
「いいえ、ありません」
(ソクラテス)
「いや、むしろ魂は調和である以上悪を受け持つこと、不調和を分け持つことはないのではないか」
(シミアス)
「たしかに、ありえません」
(ソクラテス)
「魂は、悪徳を分け持つことなどないということになるな」
(シミアス)
「はい、どうしてもそういうことになります」
(ソクラテス)
「すべての動物のすべての魂は同じように善いものだ。魂とはすべて同じ程度の善いものであるということになるな」
(シミアス)
「はい」
(ソクラテス)
「魂が調和であると言うことを前提にすれば、このような論理となってしまうが、どうだろうか」
(シミアス)
「最初の前提が正しいとは思えなくなりました」
(ソクラテス)
「ところで、人間を支配するものとして魂以外をあげることができるかい」
(シミアス)
「いいえ、できません」
(ソクラテス)
「魂が肉体を支配しようとする時は、魂は肉体が欲する状態とは反対の方向に肉体を導こうとするのではないかな」
(シミアス)
「はい、そのとおりです」
(ソクラテス)
「先の議論からすれば、魂が調和なら、竪琴の音色が竪琴に従うように、魂も肉体と反対の行動をとることなどできないことになるのではないか。調和しているということは、これらの要素に追随(ついずい)するということではないか。つまり、肉体が欲する方向に従うという意味だ」
(シミアス)
「そういうことになります」
(ソクラテス)
「魂は、肉体に対して命令を下し、反対をし、支配し、ある場合には鍛錬(たんれん)し、厳しく痛い目にも合わせ、ある時にはもっと穏やかに脅かしたり戒(いまし)めたりしながら、欲望や怒り、恐怖に対して対処(たいしょ)させるのではないか。そうではなくて、魂が肉体に引きずり回されるとでもいうのか」
(シミアス)
「いいえ、魂が肉体を拘束(こうそく)します」
(ソクラテス)
「魂が調和であるなどとはもはや言えないな」
(シミアス)
「はい、そのとおりです」

 次に、ケベスに問いかけ始めた。

(ソクラテス)
「ケヘス君は、確実に魂が不滅であることの証明を要求しているのだな。もし、魂が不滅でないとしたら、哲学者の死に対する確信など愚かなものとなってしまう。
たとえ、魂がわれわれ人間の中に入り込む以前にどこかに存在していたということが証明できても、それが魂の不滅を証明したことにはならない。確かに魂は長命かもしれないが、肉体に宿り疲れはていつかは死んでいく。あるいはこの肉体に入り込んだがために、滅亡への始まりとなったことだって考えられなくもない。そして魂はこの人生をみじめに過ごし、最後に滅亡する。そのように考えていると言って間違いないかね」
(ケベス)
「はい、間違いありません」
(ソクラテス)
「ただ、この問題に答えを出すのはひじょうに困難なことなのだ。そのためには、まず、生成(せいせい)と消滅について徹底して論究しなければならないが、よろしいかな。そしてその後にその結論を活用して君の疑問についての答えに役立てていければ使っていこう」
(ケベス)
「はい、結構です」
(ソクラテス)
「ぼくは若いころから事物がなぜ生じ、なぜ滅び、なぜ存在するのかを考えてきた。たとえば、人間の思考は血液によるのか、空気によるのか、脳が視覚や聴覚をとおして得たものから生まれるのか考えてみるがよく分からない。一方、人間が成長するのは、食物をとることによって肉に肉が付け加わり、骨に骨が付け加わることによるのだと当然のこととして理解してきた」
(ケベス)
「はい、私も当然そのように思います」
(ソクラテス)
「ではさらに考えていこう。大と小を比較する場合を考えてくれ。大きい人と小さい人を比べれば明らかに大きい人は、頭の差だけ大きい、だから大きいのだと考えてきた。大きい馬と小さい馬にしてもそれは同じである。
また、10より8が小さい。なぜなら10になるためには8には2を足さなければならないからだ。2mが1mより大きい理由は、自分自身の半分の1mだけ、自分より超過しているからである。これらは当然のことだと考えていた」
(ケベス)
「私もそうだと思いますが、それなら今あなたは、どのように考えておられるのですか」
(ソクラテス)
「考えれば考えるほど、なぜそう言えるのかわからなくなってきたのだ。たとえば、誰かが1に1を加えたとすると2になることは誰にも分かる。しかし、元からあった1が2になったのか、つけ加えた1が2になったのか、あるいは一方が他方に付加されることにより2になったのか、わたしには説明することができない。また、お互いに離れて存在していた時には、それぞれ1であったが、近くにおかれることによって2になる原因が生まれたということも私には不可解だ。
逆に1が分かれて2になることも分からない。先ほどは寄せ集めることが2になる原因であったのに、今度は引き離すことが2が生ずる原因であるからだ。そもそも1が生ずるということはなぜなのかさえも私は知ることができない。その時私は、自然科学的な考察はやめようと思ったのだ。
そのような時、私はある人が万物を秩序付け、万物の原因となっているものは理性であると言っているのを知った。もし、理性が秩序付けていることが正しいとしたら、それはすばらしいことであると思った。そして理性による秩序づけは、すべてを全体としても個々のものとしても、最善であるように位置づけているであろうと考えた。だから、もしそのものの滅びや存在の原因を知りたいなら、そのものがどのような仕方で存在するのが、あるいは影響を受けたり、影響を与えたりするのが最善かを発見しなければならない。つまるところ、人間にとっても、事物にとっても何が最上、最善かを知ることがその答えに到達する道ではないか考えるようになったのだ。そして、私はそれを私に教えた人間を師とあおぐことにした。
たとえば、彼は私にまず大地は平たいかまるいかを告げてくれる。そしてそのことの必然性を次に説明してくれるであろう。大地がこのようにあることがより良いのだと言うように説明するだろう。また、この大地が宇宙の中心にあるなら、そのようにあることが他のあり方より良いのだと言うように説明するであろう。そして私はこれらのことを師が明らかにしてくれるなら、その論理にすべて従うことを心に決めたのだ。太陽や月の運行についても、星々のことについても、すべて理性により秩序付けられ、現在あることが最善のようにあるといえる。そこで、さらにいろいろなことを知りたいと思い、彼の書物を手に入れて読んだ。
ところが、実際には彼はその原因を理性に帰してはいなかった。たとえば、事物の原因を水とか空気など見当違いのものに帰していた。私が今ここに座っているのは、理性によってなされていると言いながら、いざ説明となると、関節の腱(けん)でつながれた骨、そしてそれにつながった肉、さらにそれを包む皮膚が作用して、折り曲げた足と臀部(でんぶ)を使用して、などのようにその原因を説明しているだけだったのである。私はがっかりした。
しかし、私はそのことによりまた目を開かされた。今私がここに座っているのは、有罪の判決がくだされたこと、そしてそれに従うことが善いことだと私が判断したこと、脱走をすすめられてもここにとどまることが正しいと考えたことが原因なのであり、筋肉や腱などとは何の関係もない。おまえは体があるからここに座っていられると言われても、体があることが座る原因であるとするならそれはおかしな話なのでということに改めて気が付いた。彼らには真実の原因と単なる理由の区別がついていのだ。私は真の原因を求めて更なる考察を行っていこうと考えた。そのためならどんなことでもするつもりだ」
(ケベス)
「はい、私もそれについていきます」
(ソクラテス)
「それからというもの、私はいろいろなことを考えた。たとえば、太陽を観察するのに肉眼で直接見ると目をいためてしまう。そのように事物を肉体をとおした感覚で見るのでは人間は盲目になってしまうのではないかと考えた。そこで、言語をとおして事物の真理を考察することにした。ただこれが最上の方法だと納得しているわけではない。ともかく私は、言語を前提としてこれに整合(せいごう)するものを真とし、整合しないものを真ではないとすることにした」
(ケベス)
「もう少し分かりやすく説明していただきたいのですが」
(ソクラテス)
「まず、ぼくが前提としているのは、美それ自体、善それ自体、大それ自体、いやすべてのものに、それ自体のそのものが存在するということだ。このことに君が賛同してくれれば話が進められるのだがいかがかな。そのうえで魂が不死であることを君に示すことができるようになると思うのだが」
(ケベス)
「どうか、そのことについては、私が賛同したものとして話を進めてください」
(ソクラテス)
「たとえば「美そのもの」以外に何か美しいものがあるとするなら、それは、「美そのもの」を分け持っているから美しいということに君は同意するかい」
(ケベス)
「同意します」
(ソクラテス)
「ある人があるものが美しいと感じるのは、それが輝かしい色を持っているからだとか、形とかを理由としてあげても私は違うと言う。それが美しいのは「美そのもの」を分有(ぶんゆう)しているからだと主張する。ただそのようにだけ考えるようにしているのだが、君はどう思うかい」
(ケベス)
「私もそのように思います」
(ソクラテス)
「つまり、「大そのもの」によって大きいものは大きく、「小そのもの」によって小さいものは小さいのだな」
(ケベス)
「そうです」
(ソクラテス)
「では、ある人が、他の人より頭一つによって大きいとか、小さいとか誰かが言っても君は受け入れないだろうね。あるものが他より大きいのは「大」により、小さいのは「小」によるからだよな。ただ、あるものが頭一つだけ大きいとすると、頭というより小さなものが原因となって大きくなったということになるが、それはどういうことかと誰かに問われたら困るのではないかい」
(ケベス)
「はい、答えにとまどいます」
(ソクラテス)
「つまり、10が8より大きいのは2が原因であるということになる。ところが実際は、10は「大」という性質により大きいはずなのに、2という「小」の性質を持ったものによりにより大きくなってしまったことになる」
(ケベス)
「はい、たしかにそうです。困ったことになります」
(ソクラテス)
「その時君は、各々の事物は、そのものが分け持っている性質によって生ずると宣言するのではないか。つまり、2は1に1が加わることによって生ずるのではなく、2という本質を分け持っていることによって生ずると考えるのではないか。また、2が1になるということは、2から1が離れていくのが原因ではなく、1という本質を分け持ったから1になったというふうに考えるのではないかね」
(パイドン)
「とりあえず、ソクラテスはそのように話されたのです」

(エケクラテス)
「どんな人にもあの方は分かりやすく説明されますね。そのあとどうなったかをさらに聞かせてください」

(ソクラテス)
「さて、シミアス君はソクラテスより大きいが、パイドン君より小さい。ということは、シミアス君の中には、「大」と「小」の両方の要素があることになるのではないのかな」
(ケベス)
「はい、そうなると思います」
(ソクラテス)
「ただ、シミアス君が本性的にソクラテスを超えているという意味ではない。シミアス君がたまたま持つにいたった「大」によってソクラテスを超えているのである。またソクラテスが、たまたま、シミアス君の「大」に対しては「小」であるものを持っていたからであるのではないか」
(ケベス)
「そうです」
(ソクラテス)
「そして、シミアス君がパイドン君に越されているのもパイドン君がたまたまシミアス君の「小」に対してより「大」を持つからではないのか」
(ケベス)
「はい、そのとおりです」
(ソクラテス)
「つまり、シミアス君は両者の中間にあって、小さくもあり大きくもあるのだ。パイドン君の「大」に対しては、自分の「小」を出し、ソクラテスに対しては、ソクラテスの「小」を超える「大」を出すのだ。そうではないかね」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「そして、「大」の本性は「小」の本性を受け入れないし、「小」の本性は決して「大」の本性を受け入れようとはしないように思う。「大」に「小」が迫ってくれば、「大」は逃げて場所をゆずるか、滅びてしまうかなのである。自分が「小」になることなど決して好まないのである。同じように「小」も「大」になることを望みはしないのである」
(ケベス)
「そのとおりです」
(傍聴者A)
「え、今までの話からすれば、小から大が生じ、大から小が生じるのではありませんでしたか」
(ソクラテス)
「よく思い出させてくれたね。しかし、あの時と今の状況とは違う。ある事物からそれと反対の性格を持つ事物が生ずるのは当然だが、ある本性から反対の本性が生み出されることは決してないのだよ。あの時は事物を言っていたのである。本性自体が反対のものを生み出すことは決してないのだ。ケベス君、どうかね」
(ケベス)
「はい、このことは納得しましたが、その他に気になることは多少あります」
(ソクラテス)
「ある本性は、決して反対の本性にはなろうとしないことは納得しているな」
(ケベス)
「はい、そのことに異存はありません」
(ソクラテス)
「それでは、君は何かを「熱」と呼び、なにかを「冷」と呼ぶことに同意してくれるかい」
(ケベス)
「はい、同意します」
(ソクラテス)
「それでは、それは火や雪と同じものかい」
(ケベス)
「いいえ、違うものです」
(ソクラテス)
「つまり、「熱」は火とは異なる何かであり、「冷」は雪とは異なる何かだね」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「たとえば、雪が「熱」を受け入れて雪でありつつ熱いなどということはない。「熱」が近づけば雪は「熱」に場所をゆずって退却(たいきゃく)するか滅ぶであろう」
(ケベス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「同じように、火も「冷」が近づけば、それに場所をゆずって退却するか、滅ぶしかないよな」
(ケベス)
「おっしゃるとおりです」
(ソクラテス)
「本質そのものは当然その本質の呼び名を要求するが、本質そのものではないが、存在する限りその本質を常に有するものも同じ本質の名称を要求することがあるな。つまり奇数は当然奇数と呼ばれるが、3という数字は3とも呼ばれるが、奇数とも呼ばれるということだな。そして4という数字は偶数そのものではないが、4とも呼ばれるが偶数ともよばれるのだな」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「そして本質そのものは、反対の本質を受け入れないが、その本質を自分の中に持つものも他の反対の本質を自分の中に持つものを受け入れようとはしないない。つまり、3という数字は4とは反対ではないのに、奇数という本質を持つがゆえに、偶数という本質を持つ4を受け入れようとはしないのだな」
(ケベス)
「はいそうです」
(ソクラテス)
「ではケベス君、本質があるものを占拠(せんきょ)すると、その本質はその事物に自分の本質を保持することを強いるのではないか」
(ケベス)
「え、それはどういう意味ですか」
(ソクラテス)
「3の本質がある事物を占めると、その事物は3であるだけでなく必然的に奇数という本質を帯びることにもなるよな」
(ケベス)
「はい、たしかに」
(ソクラテス)
「そこでこのような事物に、それとは反対の本質は近づけないよな」
(ケベス)
「はい、近づけません」
(ソクラテス)
「3を3たらしめている本性は奇数性だね。そしてその反対なのは偶数性だね」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「そうすると、3に対して偶数の本質は決して近づかないだろう」
(ケベス)
「たしかに、決して近づかないと思います」
(ソクラテス)
「つまり3自体は、偶数とは反対のものではないが、奇数性を帯びているがゆえに偶数性は近づかないのだ、つまり3自体と偶数性とは関わりがないのにね」
(ケベス)
「はい、関わりがありません」
(ソクラテス)
「それなら、3は非偶数的なものだということになるな」
(ケベス)
「そうです」
(ソクラテス)
「3自体は偶数とは反対ではないが、常に奇数性を帯びているから、偶数は近づけない。同じことは2には奇数が、火には冷たさが近づけないのと同じだ。つまり、反対の本質どうしが相手を受け付けないだけではない。反対の本質を帯びた事物どうしも相手を受け付けないのだ。2倍という概念は、半分というものに対する反対のものだが、偶数性を帯びているので、奇数は受け付けないのではないか」
(ケベス)
「はい、どうにか話についていっています」
(ソクラテス)
「それでは話を始めにもどそう。「物体のうちに何が生ずれば熱くなるか」と、もし君が私に聞いたなら、私は「熱が生ずるから」と安全な答えではなく、「火が生ずるから」だと賢く答える、体に何が生ずれば病気になるのかと聞かれれば「病いが生ずるから」とは答えず「発熱」が原因だと答える。さらに数のうち何が生ずれば奇数になるかと聞かれれば「奇数性が生ずれば」とは答えず「1が生ずれば」奇数になると私は答える。この例から言えば、体のうちに何が生じたら人間は生きたものとなるのか」
(ケベス)
「魂です」
(ソクラテス)
「ということは魂は何であれ何かを占拠(せんきょ)すれば、そのものを生きたものにするのだな」
(ケベス)
「そうです」
(ソクラテス)
「ところで生に反対するものとは何かね」
(ケベス)
「死です」
(ソクラテス)
「それでは、魂は生とは反対の死は決して受け入れないな」
(ケベス)
「まったくそうです」
(ソクラテス)
「それでは、偶数という本質を受け入れないものをわれわれは何と呼んだか」
(ケベス)
「非偶数的なものです」
(ソクラテス)
「正義を受け入れないもの、音楽性を受け入れないものは何か」
(ケベス)
「不正なものであり、非音楽的なものです」
(ソクラテス)
「それなら、死を受け入れないものをわれわれは何と呼ぶのかね」
(ケベス)
「不死です」
(ソクラテス)
「それなら、魂は死を受け入れないのではないか」
(ケベス)
「はい、受け入れません」
(ソクラテス)
「つまり、魂は不死なものだな」
(ケベス)
「はい、不死なるものです」
(ソクラテス)
「これで魂が不死であることが証明されたな」
(ケベス)
「はい、証明されました」
(ソクラテス)
「ところでケベス君、もし仮に非偶数的なものが不滅なら、3は不滅であることになるな」
(ケベス)
「はい、おっしゃる通りです」
(ソクラテス)
「また、熱くなりえないものが不滅なら、雪は不滅で、雪に熱いものを近づければ、雪は溶かされることなく無事に立ち去るだろうね」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「同様に、冷たくなりえないものが不滅であったとしたら、何か冷たいものが火に近づいたら、火は無事にそこを立ち去っていくだろうな」
(ケベス)
「はい」
(ソクラテス)
「また同様に、魂に死が近づいても魂は、そこを立ち去ることはあっても滅びることはないな」
(ケベス)
「そのとおりです」
(ソクラテス)
「しかし、奇数に偶数が近づいた時、奇数が偶数になることはないが、奇数が滅びて偶数が生じてもなんら差支えがないのではないかという人がいるかもしれない。しかし、今までの議論から、「いや奇数は滅びません」とは言うことができる。なぜなら、非偶数が不滅だからだ」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「不死なものは不滅であるということが同意されるなら、魂は不死であり不滅であることになるが、そうでなければ別の議論が必要となる」
(ケベス)
「いいえ、不死なものは永遠なので、滅亡など受けいれることはないように思われますが」
(ソクラテス)
「思うに、神とか生の本質など、不死なものは滅亡などしないな」
(ケベス)
「はい、そうです」
(ソクラテス)
「そうすると、人間に死が近づけば、可死的な部分は当然滅ぶが、不死な部分はそこを去り安全なところに立ち去っていくのだな」
(ケベス)
「はい、そう思われます」
(ソクラテス)
「魂は不滅で、肉体の死後も別の世界で存続しつづけるのだ」
(ケベス)
「そのとおりだと思いますが、言いたいことがあればこの機会しかもはやないので言うべきだと思いますが、シミアスはどうなのか」
(シミアス)
「私も、魂の不滅は疑う余地のないことだとは思いますが、人間の弱さからか不安な心は今も残っています」
(ソクラテス)
「シミアス君の言うことは間違ってはいない。検討し続けることは大事なことなのだ。理想的な本質であるイデアの存在自体の追究も必要だ。そしてそれが明らかになれば不安も消えるのではないか」
(ソクラテス)
「是非、このことはみんなに言っておきたい。魂が不死であるなら、われわれは生きているこの時のためだけではなく、未来永劫(みらいえいごう)のことを考えて魂の世話をしなければならない。もしそれをないがしろにするなら、恐ろしいほどの悪影響が出るのだ。
たとえば、悪人にとって死というものが肉体からそして魂からも解放されるのであれば、悪からも解放され、死は幸せなこととなる。しかし、魂が不死となると彼らに救済などはなくなるのだ。彼らは善くなるか賢くなる以外に魂が悪から逃れることのできる方法はなくなるのだ。人間が死後持ち歩くのは、教養と生前つちかった性格だけなのだからだ。
ある言い伝えでは、人間は死ぬとその人に割り当てられた導き手に案内されて、ある場所に連れて行かれ、そこで生前の裁きを受ける。さらにあの世という所に連れて行かれ、そこでなすべきことをして、ある定められた期間が過ぎれば、またこの世に連れ戻されるという。これは、何度も繰り返されるのである。しかし、そこに到達するまでの道は一つではなく、いたるところに分かれ道があるという。ゆえに導き手が必要なのであろう。
さて、賢い魂はすすんでその導きに従ってあの世にいくであろうし、そこで出会うものも未知なものではないであろう。一方、この世で肉体に執着した魂は、この世をうろつきまわり、さんざん抵抗したうえでやっとのことで無理やり導き手に決められた場所に連れて行かれることであろう。そして、そのような汚(けが)れた魂、悪をまたそれに関わるようなことをしてきた魂は、他の魂から避けられる。その魂は途方にくれ、そこにおいてもさまよい続ける。そして、そのような魂は、その時が来ると、それにふさわしい場所に連れて行かれるのである。
ところで、大地には多くの驚くべき場所があるのだ。多くの人が思っている状態とは大きく異なっている。私はその話をある人から聞いて、それが正しいと確信している」
(シミアス)
「それでは、大地の状況について、あなたが聞かれて正しいと確信している話というものを聞かせてもらえるでしょうか」
(ソクラテス)
「今から言うことが正しいと証明するのは難しいし、またそれには時間が足らない。それでもいいなら、私の信じていることを話すよ」
(シミアス)
「はい、それで十分です」
(ソクラテス)
「もし大地が球形で宇宙の中心にあり、宇宙が一様で大地が均衡(きんこう)なら、この大地はどこに落ち込むこともない。一様なものの中心に位置するものは、いかなる方向に傾くこともないだろうからだ」
(シミアス)
「それは正しい考え方だと思います」
(ソクラテス)
「そして大地はひじょうに大きなもので、われわれはそのほんの一部に住んでいるにすぎない。ここと似たような場所は多くあり各々のところにいろいろな人が住んでいるのである。天空には星々が運行し、天空も大地も清らかなものであるが、水や空気はこの天空の沈殿物であり、絶えずこの大地のくぼみに流れ込んでいるのである。そしてわれわれは、そのくぼみの中にすんでいるのである。海底の深いところに暮らす生物が、自分はあたかも海上に暮らしていると錯覚しているように、人間も地上に暮らしていると錯覚している。
地上とは清らかで、美しいものであることを人間は知らない。空気を天空と呼んで、その中を星々が運行していると思っているのである。しかし、われわれは虚弱であるために、空気の果てるところまで行くことができない。魚が海面から顔を出せば、全く違ったすばらしい世界を目にするのと同じことである。もし、人間の本性がこれを見ることに耐えられるなら、真の天空、真の光を見ることができるであろう。海中が海上と比べれば、腐食(ふしょく)された不完全な粘土のような土の漂(ただよ)う世界であるように、このわれわれが住む大地も天上の真下にあるものに比べれば、とるに足らない劣ったものである。シミアス君、もしよかったら、この天空の真下の状況を話してあげようと思うのだがいかがなものか」
(シミアス)
「ぜひ、そのお話しを聞かせてください」
(ソクラテス)
「真の大地は、12枚の色とりどりの皮で縫い合わされた、まりのように見えるのだ。われわれの色とりどりの世界は天上界の写しであると言っていい。この色は、われわれが住んでいる世界の色と違い驚くほど美しく、澄み切っている。それが大地に不完全ではあるが、色とりどりの色調を与えているのである。真の大地の樹や花はわれわれの世界のものより、はるかに美しい。山も石も滑(なめ)らかで透明でより一層美しい状態である。われわれの世界の宝石は、真の大地の世界のかけらにすぎない。真の大地はすべて宝石でできている。真の大地は、腐敗物や塩分により汚されていない。これらのものがこの地に醜(みにく)さや病気をもたらすのである。真の大地を見ることのできる人は幸福だ。そこには動物も人間もいる。この真の大地の気候は調和を保っているので病気をすることもない。彼らは、われわれよりはるかに長生きである。、視力・聴力・知力においてわれわれよりすぐれている。また、神々と直接交流もでき、太陽や星々をその真の姿でとらえることができる。
大地の表面はこのようなものであるが、内部には、いろいろな深さのところに広さは異なる空間が多くある。これらの空間は。まちまちの大きさの通路ですべてつながっている。そしてその通路には水が流れ込んでいる。さらに大地の下には、熱湯と冷水が流れる巨大な川があり、火の川も泥が流れる川もある。これらは、すべてのこの地下世界を満たし、上下左右に流れ込んでは流れ出て、循環を続けている。
その川にはいろいろの流れのものがあるが、その中で次の4つの流れが際立っている。一つは最も大きく、最も外側に位置する川で生者と死者を分ける境界となっているものである。そして二つ目に、それと反対方向に流れている川がある。これは幾多の荒涼(こうりょう)とした土地を流れるが、この川にはたくさんの死者がやって来て、各々決まった期間そこに留まり、再び生まれるために送りだされるのを待っている。三つ目がその中間あたりから流れ始める川で、溶岩のように水と泥が煮えたぎったようなものが流れており、大地の下を何重にもめぐっている。この溶岩流(ようがんりゅう)はあちこちでわれわれの住む地にその溶岩を噴出しているのである。四つ目が、恐ろしく荒廃した地に流れ込む川である。この川はこの地に恐怖の湖をつくる。この川は人々から悲嘆の川とも呼ばれている。
大地はだいたいこのようになっている。死者たちは、各々の地にやってくると、まず裁きの庭に連れて行かれ、ほどほどの人生を送ったものは、船に乗せられ普通の地に行きそこに住む。そして各々その善行と悪行に応じて罰や報償(ほうしょう)を受ける。一方、非合法な殺人などまたそれに類する許しがたい悪を行った者は、四つの川が流れ込んでできた湖に投げ込まれ、そこから決して脱出することはできなくなるのである。大罪を犯したといえども、その後、悔い改めた生活を送ったとか、くむべき事情があった場合などは、一年後にはその川から、違う湖のそばまで流される。そして自分が危害を加えた相手に大声で許しを懇願(こんがん)し、もしそれが認められたらその川から解放され湖に移ることができる。もし、許されなければまたその川に戻るのである。そして、許されるまで永遠にこの苦しみは繰り返されるのである。 一方、敬虔(けいけん)に生きたと判定された者たちは、上方の済んだ清い世界に到着しそこに住むようになる。特に哲学により清められた魂は、全く肉体から離脱した生を送り、最も美しい住まいに居住することになる。この場所の状況について話すのは容易でなく、その時間もない。ただ、この世において徳と知恵を身に付けるために全力を尽くさなければならないことだけは確かだ。
あの世は、とても美しい所だ。このような話を確信をもって行うことは、理性的でないと思われるかもしれない。しかし、魂が不死であることは真実だ。このような話に身を託すのも価値があると私は考える。なぜなら、このような話は美しいからだ。そしてこのことを自分に言い聞かせる必要があると思う。あの世への旅立ちを待っている者は、肉体的快楽と関わりのない、善などの徳に熱中すべきである。ぼくはもう旅立つ時が間近なのである」
(クリトン)
「ソクラテス、われわれに言いつけておくことはないかね。たとえば君の子どもたちのこととか。何でも君の気に入るようにするつもりだよ」
(ソクラテス)
「いや、別にないよ。君たちが自分自身の魂に配慮した行動をしてくれればそれでよい。それが君たち自身にとっても、ぼくの身内にとっても良いことにつながるからだよ。もし君たちが自分にとっていいかげんな行動をとったとするなら、今ここでどんなに多くのことを約束したところで何の役にもたたないよ」
(クリトン)
「では、あなたのいうとおりに努力しよう。ところで、どのように君を埋葬(まいそう)しようか」
(ソクラテス)
「どうでも好きなようにしてくれ。ところでクリトンはまだ納得できていないらしい。私をどのように埋葬するかを聞くからね。毒杯を飲んだあとの私の屍(しかばね)は、もはやソクラテスではないのだ。私は、もうそこにはいなくて幸福な世界に旅立っているのだ。言葉を正しく使わないとクリトン、君自身の魂に害悪を及ぼすことになるよ。元気を出して、君の思うように埋葬してくれればそれでいいよ」

 ソクラテスは沐浴され、3人のお子さんや縁者とも会われ話されたあと、子供た ちや縁者を家に帰して、彼はわれわれのところに戻ってきました。間もなくして刑務官がやって来て、次のように言いました。

(刑務官)
「あなたは、私が今まで出会った人の中で最も高貴(こうき)な人だ。何一つ私をののしったり、私に対して怒りをぶっつけることがない。今までどれだけ多くの人が私をこの場で罵倒(ばとう)してきたことでしょう。私が今何を告げに来たのか分かっていることと思います。どうぞ、耐えてください」

と言って涙を流し、立ち去っていった。

(ソクラテス)
「なんとすばらしい男だ。私のために気高い涙を流してくれていることか。クリトン、彼の言いつけに従おう。毒薬を持ってくるように告げてくれ」
(クリトン)
「日没までまだ時間はあります。そんなに急ぐことはないのではないですか」
(ソクラテス)
「ぼくは、少しでもあとにのばして得をしようなどとは思っていないよ。最後になって笑いものになどなりたくないよ。クリトン、早く持ってきてくれ」

クリトンは、毒薬を持ってくるように指示し、係りの男はすりつぶした毒薬の入った盃(さかずき)を持ってきました。

(ソクラテス)
「これをどうすればいいのかね」
(係りの男)
「飲んでから、足が重くなるまで歩き回ってください。それから横になってください。そうすれば、薬が自然に効いてきます」

   そのように言うと彼はソクラテスに盃を渡しました。するとソクラテスは全く上機嫌(じょうきげん)にそれを受け取られました。そしていつもと変わらぬ仕草(しぐさ)でその男に言われました。

(ソクラテス)
「この毒薬の一部をある神に注ぐというのは許されるかね」
(係りの男)
「いいえ、適量しか盛っておりませんので」
(ソクラテス)
「わかった。ただ神には祈らせてくれ。どうか私のこの世からあの世への移行が幸運でありますように」

 そう言われてソクラテスは盃を口に持っていって、いとも無造作(むぞうさ)に 平然とそれを飲み干されたのです。われわれは皆こらえきれず涙を流し始めました。 私は、大事な友を失うことを嘆きました。クリトンは悲しみのあまり外に出ていき ました。悲しさのあまり大声を出す人々もいました。

(ソクラテス)
「なんということだ。こんな醜態(しゅうたい)を演じはしないかと思い女たちを家に送り返したのに。人間は静寂(せいじゃく)のうちに死ななければならないのだ。どうか我慢してくれ」

 われわれはそれを聞いて恥じ入り、泣くのをやめました。あの方はしばらく歩き 回られました。そして、足が重くなったのか、係りの男の言いつけどおり仰向(あ おむ)けに横になられました。係りの男は足を押して感じるかどうか聞きましたが、 あの方は感じないと答えられました。

(係りの男)
「こうやって押していって、冷たくなったところが心臓まで来たときにこの方は、亡くなられているでしょう」

しばらくして、あのかたの体がピクリと動き、亡くなられました。これがソクラ テスの最期でした。クリトンはあの方の口と目を閉じてあげられました。これがソクラテス、知恵と正義において最も卓越(たくえつ)した人の最期でした。(30 6/2追加)(以上)



−誰でも読めるシリーズ−


『饗宴』(プラトン)


 先日、道を歩いていたら、ある一人の知り合いが、「おい、ちょっと待ってくれよ」と、後ろから声をかけてきた。そして続けて彼は「ソクラテスが出席していたという宴会の様子を教えてくれ、とくにそこで愛について語り合ったと聞いている。是非その場の詳しい状況を知りたいんだ」と言ってきた。そして彼は続けて、「君以外の人からその時の話の中身を多少聞いたが、要領(ようりょう)を得ない。そこでその宴会には君も出席していたと聞いたので、是非その時の様子を詳しく知りたいと思い声をかけたんだ。確かに、君はそこにいたんだよな」と言ってきた。
 そこで私は「ずいぶんいい加減な話だな」と言い、続けて「その宴会は相当昔のことで、その出席者には今はもう死んでしまった人もいるし、その頃、ぼくはソクラテスとは何の関わりもなかったんだよ。第一、ぼくの子供の頃の話だから、自分はその宴会になど出ていないんだ。だからぼくが話せるのもあくまで聞いた話に過ぎないよ。ただ、その宴会についての話の中身は、ソクラテスの熱烈な敬愛(けいあい)者から聞いたものであり、後にぼくがソクラテス自身に確認し、彼が真実だと言っているから、間違っている点はないと確信しているよ」と答えた。すると彼は、「それなら、道すがらでいいからその話を聞かせてくれ」と言うのでぼくは、歩きながら彼にその宴会の状況とそこでなされた愛についての話を始めたのだ。
 その話を今からここでしようと思うんだ。宴会自体はかなり昔のことではあるが、つい最近道すがらその人に話したことなので、ここであなたがたに話せるだけの準備は十分にできていると思うよ。君たちがこの話を聞くことを強く望むなら、ぼくは報酬などなくても喜んでこの話をするよ。ぼくにとって、愛について語ることは、うれしくてたまらないことなんだ。たとえば、これが金儲(かねもう)けの話などなら全くもって話題に触れることさえいやなんだがね。「それなら是非聞かせてくれよ」と彼らが言うので、「これはその宴会に一緒に出席したソクラテスの弟子から聞いた話なのでそのつもりで聞いてくれ」とことわって私は話しを始めた。

 ある日私は、身支度を整え靴をはいているソクラテスに出会った。ソクラテスにしては珍しいことなので私は彼に、「どこに出かけられるのですか」と尋ねた。するとソクラテスは、「友人であるアガトンのところへ行くんだ。昨日も行ったんだが、あまりに客人が多くて途中で帰ったんだ。するとアガトンが連絡をしてきて、今日はしっかりともてなすので絶対に来てくれと言ってきたので、また行くことにしたんだ。なんなら君も一緒に行くかい」と言われたので私もお供することにした。しかし、私が行くには何か理由が必要ではないかと思い、そのことをソクラテスに話すと、彼は「それじゃ、行く道すがら一緒に考えよう」とおっしゃった。ところが、ソクラテスは行く途中、そのことについて話をするどころか、ひたすら黙って考えごとをしているんだ。あげくのはてには、私に先にアガトンのところに行っておいてくれという始末なんだ。やむをえないから先にアガトンのところに一人で訪ねたんだ。すると、そこにはもうすでに多くの客人が集まり、彼らはまさに食事を始めようとしているところだったのだ。

 まもなく、主(あるじ)のアガトンが出てきて、「いいところに来たね。是非一緒に食事をしよう」と歓迎(かんげい)してくれた。そして続けて「実は昨日も君を招こうと思って、方々探していたんだ。ところで、なぜソクラテスは一緒ではないんだい」と尋ねてきた。そこで私はあらためて後ろを振り返ったが、そこにソクラテスの姿はなかった。私は、「彼に誘われてここに来たのですから、当然いるはずなのですが。私にも彼が今どこにいるのか分かりません」と答えた。すると主のアガトンは、給仕にソクラテスを捜しにいかせた。そして私を部屋に招き、席に座らせてくれたのである。別の給仕が私の足を洗い終わった頃、ソクラテスを捜しに行った給仕が帰ってきた。そして「ソクラテスは隣の家の玄関前にいらっしゃいました。そこで、こちらですから早くおいで下さいと何度も申し上げたのですが、全く見向きもされないのです」と告げた。アガトンは「何を言っているんだ。ともかくもう一度行ってどんなことがあってもお連れしなさい。そのまま放っておいてはいけませんよ」と言った。すると、ソクラテスをよく知る客人の一人が、アガトンに「いや、放っておいたほうがいいよ。ソクラテスにはよくあることなんだ。間もなく来るよ。それまでは彼の邪魔(じゃま)をしないほうがいいよ」と言った。「君がそういうなら、そのとおりににしよう。それじゃあ、給仕たちよ。ご馳走(ちそう)を持ってきてくれ」とアガトンは答えた。
 そしてわれわれは食事を始めたが、その後もソクラテスは一向に姿を見せないので、アガトンは何度も給仕にソクラテスを呼びにいかせようとしたが、その都度先ほどの客人は止めた。食事があと半分ぐらいになった頃、ソクラテスはやっとやってきた。それに気づいたアガトンは「ソクラテス、私の隣に座ってくれ」と迎えた。そしてアガトンはソクラテスに「あなたが、隣の玄関先で熟慮(じゅくりょ)されて得られたものを、どうぞ私に教えてください」とお願いした。するとソクラテスは「アガトン君、ぼくは光栄だよ。水は毛糸をつたって水位の高いコップから低いコップに流れるように、知恵も多い方から少ない方に流れ込んでいく。君のように何万人をも前にして演説をできる若き知者に近づけるということは、まことにありがたいことだ。こんないかがわしい私をいろいろとご教授いただきたいものだ」と言った。そこでアガトンは「ソクラテス。あなたは口が悪い人だ。それではともかく、その話は後回しにして食事を食べましょう」と答えた。

 食事を終え、食後の儀式がすむと客人たちは酒を飲み始めた。すると一人の客人が口を開いた。「昨日もしこたま飲んだうえに、今日も飲むのか。今日はゆっくりと気楽に飲みたいものだ。どうだろう、気楽に飲めるような趣向(しゅこう)をみんなで何か考えてみないかな」と。するとほかの客人の一人が「全くそのとおりだ。僕も昨日はすっかり酒にひたるほど飲んだ。あなたの言うように今日は気楽に飲みたいものだ」次にまた別の客人が口を開いた。「僕もそうだよ。だけど主人であるアガトンさんの意見を聞くべきじゃないのか」と。するとアガトンは、「僕も飲みすぎているよ」それを聞いて、アガトンに尋ねた客人は「酒豪(しゅごう)の君たちがそのように言うのだから、僕らは限界に近いのは確かだよ。ただ、ソクラテスは別だよね。彼は、自分をコントロールできる人間だからだよ。彼は別にしても、今ここにいる人々は、今日はそれほど酒を飲まなくてもいいという人が多いみたいだ。だから今日は深酒もしないし、人に酒をすすめることもしない宴会にしよう」と言い、多くの客人もそれにうなずいた。彼は続けて「酒を飲むことが目的でなくなったから、どうだろう、お互いに演説をしあいそれを酒やごちそうのかわりにするような会にしたらどうだろうか。もしよければ、その演説のテーマも提案したいと思うがいかがなものか」と言った。みんなが賛同したので彼は続けて「それでは、愛の神であるエロスのすばらしさを賛美する演説を順番にしていこうじゃないか」と言った。するとソクラテスが「君の提案に反対する人などいないよ。自分も含め、愛の神であるエロスとは何でありどんなものなのか分かっていない人が多いからな」と言った。そして多くの客人がソクラテスに賛同して演説を始めることになった。

 一番手が演説を始めた。「愛をつかさどる神であるエロスは偉大である。なぜなら、エロスの神は多くの神々の中で最初に誕生した神々の中に属するからだ。ゆえに、エロスの神を生み出した両親は存在しない。さらに、エロスの神は、我々に人生における最大の幸福をもたらしてくれる。愛する対象を持つこと以上にわれわれにとって幸せなことはない。善く生きようとする者には、愛はその道しるべを与えてくれる。愛なくして人間の偉業などはなされなかったであろう。愛するものの前では恥ずかしい行為など、人にはできない。もし、愛する男たちと、愛される者で構成される国があるとしたら、男たちは戦場で恥ずかしいことはできず、死に直面しても恐れることはないであろう。また、人は愛するものを見捨てることなど決してしない。そのような国こそ世界で最強の国となるのである。愛する人のために、人間は自分の命をも投げ出してきたのである。過去多くの人々がそのようにして、尊敬の念を受けてきた。エロスの神とは最も根源的な神であり、我々に幸福をもたらす、最も権威のある神なのである」

 二番目の演説者が演壇に立って演説を始めた。「このような題目の設定では、愛の神エロスを賛美せざるをえなくなる。しかし、愛の神は一人とは限らない。複数存在する可能性もある。そこで、私はまずエロスの神について探究し、その後その中のどの愛の神を賛美するかを決めて、それから愛の神に関する演説を始める。私が考えるに、エロスの神には二つのものがある。一人は、年長の天の娘である神、もう一人は年下の万人向きの娘の神である。まず、後者の万人向きの娘であるエロスの神がもたらす愛について考えてみよう。この愛は多くの人の間で偶然によって始まる。男女間の恋愛がその典型である。彼らは、魂よりも肉体を求める。肉体的欲求が主なものであるから、愛する相手の行為が立派であるかそうでないかは眼中(がんちゅう)にない。相手が賢いかどうかも関係ない。むしろ愚者を好む場合が多い。なぜこの愛がこのような形となってしまうのか。それはこの愛のエロスの神がまだ年少で未熟(みじゅく)だからである。それに対し、もう一人の年長者である愛の神エロスがもたらす愛は、理性に富むもの、人格的にすぐれたものに対する尊敬に満ちた愛である。この愛をささげるものは、その愛する対象から一生離れることはない。たとえその対象の容貌(ようぼう)は醜(みにく)くても、高貴で優秀なものを愛するというすばらしいものである。まさに、年長のエロスがもたらすゆえの愛である。この愛のためなら、それ以外のものを得るために使うことは非難されるような手段を用いても、多くの場合世間からは許される。むしろ、そのようにしてまで、愛を成就(じょうじゅ)させようとする姿勢は、逆に多くの人の賞賛さえも受ける。しかし、肉体を愛するような愛には賞賛などない。愛する対象の肉体が衰えるやいなや急速にその愛は失せていく。そのような愛に、人々の賞賛など存在するはずがない。それに対し、魂を愛するものは、変わることなく愛し続けるため多くの人から賛美されるのである。つまり、まことの愛、徳のためになされる行為、その愛に対して答える行為は、その愛が正しいものであれば、どんな手段であろうと賞賛されるが、打算(ださん)でなされる愛やその他の目的のためになされる行為は恥辱(ちじょく)であると判断されるものである」以上で彼の話は終わった。

 三人目の演説者が壇上に立ち演説を始めた。彼は、医者である。「前の演説者が愛の神エロスは二人いるといったが、まさにそのとおりである。まずこのことを医学的な見地から証明してみよう。身体には健康と不健康の二つの状態がある。前者は体がもつ健康の要因、つまり善いものに従って生活して得られるものであり、後者は不健康をもたらす要因、別の言い方をすれば悪いものに従って生活したゆえにもたらされたものである。医術とは二種類の要因をいかに体内で調和させていくかという施術(せじゅつ)である。熱いものと冷たいもの、甘いものと苦いものなどの塩梅(あんばい)が重要なのである。音楽の世界も同じであり、相対立する高音と低音がありそれら自体では相いれないものであるが、両者が音楽家により和音とされた時、融合し快い響きとなるのである。天上のエロスがもたらす愛をさらに育て発展させ、年少のエロスがもたらす愛が快楽のみに走ることのないように監視し律していかなければならない。なぜなら、この二人のエロスがもたらす愛は、すでにわれわれのうちに要素として存在しているからである。季節においても同じで、暖と冷、乾と湿の相互の調和が必要であるのも同じことである。年少のエロスのみが優勢となれば、その調和は崩れる。エロスはこのように多くのものにその影響力を持っている。このエロスの神こそ我々に最上の幸福をもたらすものである」以上で彼の話は終わり、次の演説者が話を始めた。

 彼は有名な喜劇作家である。「みなさんの話を聞いてきたが、今までの演説者には、まだ本当の意味での愛のすばらしさが分かっていない。世の中の人々もいまだその偉大さを理解していない。まず、エロスの神がもたらす愛が人間にとって最高の幸福であることを理解するためには、人間とは昔どのようなものであり、どのような経歴をたどって今日のようになったかを知らなければならない。
 原始には、実は人間には3つの性があったのである。一つは男性(男男)、そして二つ目は女性(女女)、これに加えて、両性を結合した男女という第三の性があった。人々の形は球形で手が4本、足が4本、顔が2つという、ちょうど今の二人の人間が背中あわせでくっついたような姿をしていたのである。そして彼らは直立し、行きたい方向に前後どちらにも移動できた。ただ、急いでいる時には、その4本の足と4本の手を器用に使って、ころがって移動したのである。なぜ、三つの性があり、このような丸い形をしていたかというと、男男は太陽から女女は地球からそして男女は月から生まれたからだと言われている。
 彼らは強大な力を持ち、気位いもひじょうに高かった。そのため、彼らはついに神に挑戦しようとしたのである。神はその者たちの不遜(ふそん)な態度に怒った。だからといって、これらのものを滅ぼしてしまうことはできないし、またこのまま見過ごすこともできなかった。そこで神は、人間をこのまま生かしはするが、弱くしてその凶暴性(きょうぼうせい)を失わせ、かつその数も増やすことにした。数を増やすということは、神に対して敬意をはらうものが増えるということでもあるからだ。そこで神は、人間を二本の足で歩くように真っ二つに切ることにした。そして切り口の方に顔を反転させた。なぜなら眼下にたえずその切り口が見えるようにして、温和な性格となるようにするためであった。そして、四方八方から皮を切り口の正面まで伸ばして、巾着のように一つの口で締めた。そのなごりがへそなのである。それゆえ人間は、自分から切り離されたもう一つの半身とたえず一緒になろうとするようになったのである。
 それで人々は、切り離された半身を捜し、見つけるやいなや互いに抱き合い、そのまま労働もなにもせず、動くことさえもしなくなったため、そのままその多くが死んでしまった。また、切り離された自分の半身が死んでしまっているのを見つけたものは、ずっとその自分のかつての半身にまとわりつき同じように死んでいったのである。神はこの状態を憐れんで、それまでは後ろ側にあった性器を前側に持ってきた。性器が後ろ側にあった時は、セミのように子孫を大地に産み落とすしかなかったが、前になったために異性に出会ったときは抱擁しあい男性が女性の中に子孫を生産するようになった。一方、同性に出会ったときはそれを感じず欲望は静まり、人々は仕事に励むようになったのである。
 このように愛とは昔から新たな生を生み出し、かつ人間をよりよい活動に向かわせる原動力なのである。人間は過去、割符(わりふ)のように分けられたがゆえに、もう一方を探し求めるのである。だからかつて男女であったものの男は女好きであり、男好きの女もこの男女の片割れである。一方、女女が分けられて生まれた女は男には興味を示さず、女に興味を持つ同性愛者となる。同様に、男男が分けられて生まれた男も同性である男性を好む。ただ、この同性を求める男は女性的な男ではなく、もともと男男であったがゆえに、最も男らしい男なのである。自分と同じ勇敢さを持った男を愛する、勇敢なる男なのである。多くの政治にたずさわってきた男こそ実はこの男男が別れた男なのである。彼らは、社会の慣習上女性と結婚し子供をもうける場合もあるが、男性とともに生き、友情を持ち続け一生を過ごせればそれで満足するのである。もし彼らがかつての半身と出会ったなら、感激におそわれ一瞬たりとも離れようとしないであろう。このような心情が起こる理由を彼らに尋ねても彼らには答えられない。なぜならこれこそ自分たちの昔の姿から生じている本性だからである。この憧(あこが)れと追求の本性こそがエロスの神がもたらしたものなのである。
 神々に対してまた不遜(ふそん)な態度をとれば、我々はさらに半分に引き裂かれかねない。そうならないためには神を当然エロスの神も敬まわなければならない。そこで、われわれはかつての半身と出会う可能性も生じてくるのである。そして、分割される前に一緒だった者とともにあることこそ、人間にとっての最高の幸福なのである。その幸福をもたらすエロスの神こそ、我々が最高に賞賛しなければならない神なのである」と演説はそこで終えた。

 次に主のアガトンが演壇に立った。「大勢の前で演説する時よりも、今ここで少数者ではあるが賢明な人々の前で話を始めるのは、怖いぐらい緊張するものである。私は愛の神エロスが我々にもたらす多くの幸福を中心に語るのではなく、まず最初にエロスの神とはいかなるものであるかを語っていこう。
 この神はこの世の中で最も美しく、最も優れた神である。エロスは神々の中で最も若い。ゆえに、愛の神エロスは若きものに宿り、老齢からは迅速に逃げ去る。まさに似たものに近づくゆえにエロスは最も若い神である。また、柔軟でしなやかであるがゆえに、人間の柔らかな心情の中に場所を持つ。なぜなら柔らかくなければそこに宿ることはできないからである。またエロスは優雅な物腰で血色も美しく花の中に住んでいる。なぜなら、花のない花のしぼんでいるところにエロスは腰をおろさないからである。エロスに強制という言葉はなじまない。すべての人はエロスに自らすすんで奉仕するのである。人がすすんで行ったことはすべて公正なことであるはずだ。またエロスには、自制という言葉が最もなじむものである。愛こそがこの世で最上の快楽である。だからこそ最も自制する力がなければならない。また、愛は人間を最も勇敢なものとする。また、エロスの神はすべての人間を詩人にもする。エロスはすべての芸術を創造する。すべての生き物を誕生させ、成長させるのもエロスの神である。エロスのないところには闇しかない。いろいろな技術も音楽などの芸術もすべてエロスから生まれたものである。神々の世界もエロスの神が宿ると同時にあらゆる善事が生ずるようになったのである。エロスの神こそ最高の賛辞を受けるべきものである」以上でアガトンの演説は終わった。

 最後にソクラテスが演壇に立った。「果たしてぼくにあれほどすばらしい演説ができるであろうか。アガトン君の話にはほんとうに引き付けられ、次に私が話さねばならないと思うとここを逃げ出したいくらいだ。しかし、私は愛について正しく語らねばならないと思っている。確かにあなた方の話は、愛を賛美しているものではあるが、果たしてそれが真実であろうか。私はあなた方のように愛を賛美する仕方を知らないし、弁舌も巧みではないが、今から語るのは真実のみである。それでは話をさせていただこう。ただ、その前にアガトン君にいくつか質問をしようと思うがそれを許してもらえるだろうか。そう言ってソクラテスは質問を始めた。

(ソクラテス)
「アガトン君、エロスとはある者への愛なのか、それともそうではないのか」
(アガトン)
「もちろん、ある者への愛だ」
(ソクラテス)
「それなら、エロスとは自分がそれを向けた相手を欲求するものなのか。それとも欲求しないものなのか」
(アガトン)
「もちろん欲求するものだ」
(ソクラテス)
「それではその欲求とは愛するものをすでに所有している時に起こるのか。あるいは、所有していない時に起こるのか」
(アガトン)
「多分、所有していない時に起こるのだと思う」
(ソクラテス)
「多分ではなく、欲求するということは、それを欠いている時であって、それを欠いていない時は、欲求することなどないと言い切れるのではないかい」
(アガトン)
「確かにそのとおりだ」
(ソクラテス)
「つまり、すでに大きいのに大きくなりたいとか、強いのに強くなりたいと思うような人はいないのと同じだね」
(アガトン)
「今までの話の流れからいくとそのとおりだ」
(ソクラテス)
「現にそうなのだから、さらにそうなる必要などないはずだ。」
(アガトン)
「間違いない」
(ソクラテス)
「もし仮に今持っているものを持ちたいという人間がいたとしたら、我々はその人に向かって、今持っているものを将来失うかもしれないから、念のために今それをもしもの時のために余分に持っておこうとしているのだねと問うのではないか」
(アガトン)
「そのとおりだ」
(ソクラテス)
「ということは、今持っていないものを持とうとする望みと今持ってはいるが将来ともに失わないように持ち続けたいという望みは同じであると言ってもいいな」
(アガトン)
「もちろんだ」
(ソクラテス)
「つまり、欲求や愛とは、今持っていないもの、あるいは欠けているものに向けられるのだな」
(アガトン)
「そのとおりだ。愛とは欠乏しているものに対して向けられるものだ。」
(ソクラテス)
「ところで君は先の演説で確か、醜いものに対する愛など存在しないと言ったね」
(アガトン)
「確かにそう言ったし、そのとおりだと思っている」
(ソクラテス)
「そうすると、愛とは美しいものに対するもので、醜いものに対するものではないということだね。ところで、エロスの神も自ら欠いていて所有していないものを愛し求めるということでいいね」
(アガトン)
「それでいい」
(ソクラテス)
「ということは、エロスの神というもの自体は、美を欠いていることにならないかい」
(アガトン)
「そう言われれば、そういうことになるな」
(ソクラテス)
「ということは、君たちは今まで美しくないものを美しいと言ってきたわけではないか」
(アガトン)
「そのようなつもりではなかったのだが」
(ソクラテス)
「まだ、エロスは美しいと言うのかい」
(アガトン)
「何か自分が言ってきたことが分からなくなってきた」
(ソクラテス)
「まあ、君の演説は立派なものだったよ。それはそれとして、もう一つ聞いてみるよ。善いものは美しいものだよな」
(アガトン)
「はい、そのとおりだ」
(ソクラテス)
「となると、エロスは善くないものでもあることになるのではないかい」
(アガトン)
「あなたの言うとおりだ。反論はできない」
(ソクラテス)
「いや、私に反論できないのではない。私への反論など簡単なものだ。人は真理に対しては決して反論できないのだ」

 ソクラテスはアガトンを席につかせ一人で話を始めた。「実はアガトン君のしたような愛の賛美の演説を、かつて私はある博識(はくしき)な婦人の前でしたことがあるのだ。するとそれを聞き終えた彼女は、今私が述べたようなことを言ってきたんだ。今からはその婦人とのやりとりを紹介するので聞いてくれ」と言い、ソクラテスは再び話を始めた。次に記したのはその時のソクラテスと婦人との会話の様子である。

(ソクラテス)
「どういうことですか。それでは、エロスの神は醜くて、悪いということなのですか」
(婦人)
「罰当たりなことを言うものではありません。あなたは、美しくないものは醜いに決まっているとでも思い込んでいるのですか」
(ソクラテス)
「もちろんそうです」
(婦人)
「それなら知恵のないものは無知なのですか。知恵と無知の間にあるものにあなたは気づかないのですか」
(ソクラテス)
「それなら、その間にあるものとは何なのですか」
(婦人)
「正しい意見、見解です。なぜなら正しい意見はその正しさの根拠を示すことができないから知恵とは言えないが、それは真実そのものであるから無知とも言えません}
(ソクラテス)
「あなたのおっしゃるとおりです」
(婦人)
「美しくないものは醜いということではありません。エロスの神の場合も同様です。エロスの神は、美と醜、善と悪の中間に位置するものです」
(ソクラテス)
「しかし、すべての人がエロスの神を偉大なすばらしいものだと認めていますよ」
(婦人)
「あなたの言うすべての人とは知識のない人のことですか。それとも識者も含めてのことですか」
(ソクラテス)
「識者も含めたすべての人です」
(婦人)
「しかしソクラテス。エロスを神として容認しない人たちは、エロスを偉大な神として認めるはずがありません」
(ソクラテス)
「その人たちとは誰のことですか」
(婦人)
「その一人はあなたでもう一人は私です」
(ソクラテス)
「それはどういう意味ですか」
(婦人)
「あなたは、すべての神は幸福で美しいと考えていますよね。ある神は美しくもなく、幸福でもないなどとは思ってもいませんよね」
(ソクラテス)
「神に誓ってそんなことはありません」
(婦人)
「そしてあなたが幸福だというものは、善いものや美しいものを所有するものでなければならないと考えていますよね」
(ソクラテス)
「そうです」
(婦人)
「確かあなたは、エロスの神は善いもの美しいものを欠いているがゆえにそれらを欲求するものだということを認めたのではなかったですか」
(ソクラテス)
「はい、認めました」
(婦人)
「それなら善くも美しくもないものがなぜ神と呼べるのですか」
(ソクラテス)
「神とは呼べないように思われます」
(婦人)
「それみなさい。あなたもエロスを神だとは思っていないのですよ」
(ソクラテス)
「それなら、エロスの神とはいったい何なのですか。滅ぶべきものなのですか」
(婦人)
「決してそんなことはありません」
(ソクラテス)
「ではいったい何なのですか」
(婦人)
「滅ぶべきものと滅ばないものの中間に位置するものなのです。偉大な神霊なのです。なぜなら、すべての神霊的な者は神的なものと滅ぶべきものの中間にあるからです」
(ソクラテス)
「それなら、その神はどんな能力を持っているのですか」
(婦人)
「それは、神と人間の間で両者を媒介する役割を持ちます。人間から神には人間の祈りや犠牲を、神から人間には神の命令や報償(ほうしょう)を仲介します。その結果、両者は結合することができるのです。エロスの神がいるからこそ儀式も占いも成り立つのです。この神がいるからこそ人間と神は対話ができるのです。このように両者を仲介する神はほかにも多くいますが、エロスの神もそのうちの一つなのです」
(ソクラテス)
「ではそのエロスの神の父と母は誰ですか」 (婦人)
「エロスの神は、ポロスという勇敢(ゆうかん)・豪強(ごうきょう)でかついろいろな術策(じゅつさく)をろうする神を父親として、貧乏できたならしい路上で寝るようなベニヤという名の神を母親として生まれたのです。だからエロスは両者の性質を引き継ぎ、富裕でも困窮でもなく、知者でも無知でもなくその中間にいるのです。
 ところで知恵のある者は、知恵が欠けていないので知恵を欲求しない。また、無知の者は、知恵が欠けていることを悟れないので知恵を欲求しない。だから知恵を求めるものは、その中間にある者だけだということが言えるのです。これと同じように、エロスの神は美しいものでもなく、醜いものでもなくその中間に位置するから美を求めるのです。どうやらあなたは、エロスの神は愛されるものだと思っていたので、愛されるからには美しくなければならないと考えたのでしょう。だからあなたにとって、エロスの神は美しくなければならないと、勝手に決めていたのです、しかし違います。エロスの神は、愛されるのではなく愛するものなのです」
(ソクラテス)
「わかりました。それではエロスの神は、人間にどんな良いことをもたらしてくれるのですか」
(婦人)
「それについて答える前にあなたに聞いてみましょう。人は美しいものを愛する場合、そこに何を求求めているのですか。」
(ソクラテス)
「対象が自分のものになることを欲求しているのだと思います。」
(婦人)
「それでは美しきものを手に入れると、いったいその人には何の得るものがあるのですか」
(ソクラテス)
「それについては即答しかねます」
(婦人)
「それでは聞き方を変えてみましょう。人が美しいものではなく善いもの愛する場合、それは何を求めているのでしょう。」
(ソクラテス)
「同じように、その善いものが自分のものになることだと思います」
(婦人)
「それでは、人は善いものを手に入れると何を得ることができるのでしょうか。」
(ソクラテス)
「それならすぐ答えられます。幸福を手にすることができるからではないでしょうか」
(婦人)
「幸福な者が幸福であるのは、善いものを所有しているからです。幸福になりたいという人に対して何のためにですかともはや尋ねる必要はありません。ここで話は終極(しゅうきょく)に到達したのです」
(ソクラテス)
「そのとおりだと私も思います」
(婦人)
「それではあなたは、これらの愛や願望はすべての人に共通で、すべての人は善いものを永遠に所有することを望むのでしょうか。」
(ソクラテス)
「私は万人に共通だと考えます」
(婦人)
「すべての人が同じようなものを同じように愛しているなら、一部の人は愛しているが他の人々は愛していないなどということがあるでしょうか」
(ソクラテス)
「現実にあることが不思議でなりません」
(婦人)
「それはこういうことなのです。われわれは、愛の中からある一定の種類だけを取り出して愛と呼び、あとは別の名前で呼んでいるからです」
(ソクラテス)
「もう少し具体的におっしゃって下さい」
(婦人)
「たとえば、芸術家が活動する創作分野とは、絵画や音楽・演劇などたくさんの分野や種類がありますね」
(ソクラテス)
「はい、そうです」
(婦人)
「ところが、われわれが創作家と呼ぶものは音楽の旋律をつくるものだけです」
(ソクラテス)
「たしかにそうです」
(婦人)
「このことは愛の場合も同じなのです。たとえば、善きもの・美しきものを手にし、幸福を求めようとすることをみんなは愛と呼びますが、それが蓄財を目的としているような場合は、決して愛とは呼びませんね。つまり、ある特定の限られた方向のみに向かうものをわれわれは、愛と呼んでいるのです」
(ソクラテス)
「実際、そのとおりです」
(婦人)
「ある人は、昔、神により分割された自分のもう一つの半身を求めることを愛と呼んでいるらしいが、私はそうは思いません。人間は自分の手であろうと足であろうとそれが自分に害悪をもたらすとすれば、すすんでそれを切断するはずです。自己が持つものが善きものとは限らないからです。ともかく人間が欲求するのは善きものだけなのです」
(ソクラテス)
「私もそう思います」
(婦人)
「つまり愛とは、善いものを永久に所有しようとするために向けられたものだということですね」
(ソクラテス)
「はい、そのとおりです」
(婦人)
「愛はそのようなものです。それでは愛するとは、どのような行動になるのでしょうか」
(ソクラテス)
「私には分かりません。それを知りたいがためにここに来たのです」
(婦人)
「それでは教えてあげましょう。愛の行動とは、肉体的意味においても精神的意味においても、その美しいものの中に何ものかを生み出すことです」
(ソクラテス)
「もう少し、分かりやすく説明してください」
(婦人)
「分かりました。そもそも人間は肉体的にも精神的にも何ものかを生み出す種を持っています。そして年頃になると人間の本性は、それを使って何ものかを生み出すことを欲求するようになります。ただそれは、美しいものの中だけで実現することができるものなのです。それは神的なものなので、美しいものに対してだけ心がおどり生産しようとするのです。もし、醜いものなら心は沈み生産しようとする気は起らない。ゆえに、生産したいという欲求を持つものは激しく美しいものを求めそれに興奮するのです。愛の目的とは、美しいものの中に生産することなのです」
(ソクラテス)
「なるほど、そうかも知れません」
(婦人)
「それでは、人間はなぜ生み出そうとするのでしょうか。それは、自分が滅ぶ身であるため、生み出すことに不滅性を見いだすからです。愛の目的が善いものを永久に保持することなら、愛の目的は不死につながるものを手に入れることではないかと思われます。
 ところで、ソクラテス、あなたはこの恋愛や欲求の原因は何だと思いますか。生物は、生殖欲におそわれ、交尾に興奮し、子供を持つ。そして次には生まれた子に対して自分のどんな犠牲もいとわない。なぜだと思いますか人間は理性を持ち思慮することができるからこのような行動ができるのだとしても、動物にまでそれがあるのはなぜだと思いますか」
(ソクラテス)
「残念ながら私には分かりません」
(婦人)
「それが分からなくて、愛を語る資格などあるのですか」
(ソクラテス)
「いえ、分からないからこそ、ここにきてお尋ねしているのです。どうか教えてください」
(婦人)
「それでは、お答えしましょう。死を免れることができないものは、不死を求めるものなのです。そして生物にとってそれができるのは、生殖(せいしょく)だけなのです。
 たとえ個体は滅びても、それが産み出したものは、生き続けるのです。われわれ自身でさえ体は赤ちゃんの時と今では、肉体自体は新しくなり、ほとんどが入れ替わっているのに同一性を保っています。気性も変わってはいきすが、人格としての同一性を認識し続けています。生が別の個体に受け継がれていくこととそれほどの違いはないと思います。
 ともかく滅ぶべきものは、何らかの仕方で永遠なるものを求めるのです。そのためにどんな生物にも愛が贈り物として授けられているのです」
(ソクラテス)
「あなたの話はなるほどだと思いますが、それは真実なのですか。」
(婦人)
「いかに過去から多くの人々が、名声を永遠に残そうとして命さえも投げ打ってきたかを考えてみればわかるはずです。優れた人間ほど永遠なるものを望むのです。
 さて、肉体に対して不死を願う者は、その欲求は婦人に向かい、一方、精神的なものの不死を願うものは、不朽の名作をつくることに向かう。その生産は美しく、すぐれているものの中に求められる。また愛の対象が美しく、優れたものであり続けることを願う。そして、子供ができてもその愛する者とのつながりはより深くなり、多くの人が立派な子孫を残したのである。当然、多くの偉業も精神的なものとして永遠にたたえ続けられます。
 それではさらに、愛についてもっと深淵(しんえん)なお話をしましょう。正しい道を歩もうとする者は、若い時から一つの美しい肉体を追求しその中に美しい思想を産み付けねばなりません。そして次には、美しい肉体とは決して一つではなく他にも多く存在することを知り、さらにはどんな肉体も同一不二の美を持っていることを悟り、今までのただ一つへの熱烈な愛を冷まさなければなりません。そして次には、精神的な美が肉体的な美より価値があることを悟らなければなりません。そしてこの精神的な美さえあれば、肉体的な美はそれほどでなくても満足できるようになるでしょう。そして仕事や学問の中にも美があり、これらの美は互いに結びついていることを認識しなければなりません。そして、肉体的な美の価値とはわずかのものであるということを知らなければなりません。こうなることにより、限られた一部のものへの愛のみに埋没(まいぼつ)するのではなく、広く限りない愛を持ち、そして多くの崇高なものを生み出し、自分自身も向上させ、究極の愛を認識できるまでに成長していかなければならないのです。
 それではこの愛の美の極致(きょくち)とはどんなものなのでしょうか。それは、生まれたり、滅びたりせず、常に存在するもので、どこから見ても、いつ見ても、誰が見ても美しいものです。さらにそれは、肉体にあるものでもなく、学問的なものでもなく、独立して存在するものです。ところが、他の美と言われるものは、移り変わるものです。ゆえに、この愛の極致ともいえる美そのものに人間が到達したら、その人間は終極的な目的に到達したと言ってもいいのではないかと思います。だから人間は一つの美しい肉体から二つのそして多くの肉体へ、さらに精神的なものである職業や学問の中の美に、そしてついには究極的な美そのものに至るのです。そしてついにその「美そのもの」に至った人間は人生に生きがいを感じ、地上的な美に対して夢中になることなどはなくなります。まさに、そこにこそ真の徳が生み出されるのです」

 このように話して、彼女はその話をしめくくりました。以上が私、ソクラテスが申し上げたい愛についてのお話です。私は彼女の話に納得をしたがゆえに、それを多くの人々に広めているのです。それと同時に、私自身が真の愛の道を歩めるよう日々努めているのです。何か異存がある人があれば言っていただきたい」

 ソクラテスがそのように話し終えた時、突然ドアをたたく音がした。アガトンは給仕に「ちょっと見てきてくれ。そしてもし知り合いだったら招き入れてくれ。もしそうでなかったらもう宴会は終わったと言って帰ってもらいなさい」と告げて見にいかせた。
 すると玄関前から「この酔っ払いを仲間に入れてくれないのか。追い返すつもりなのか」と大きな声で叫ぶ声が聞こえた。さらに「酔っぱらってはいるが、昨日来ることができなかったので、今日わざわざ足を運んだんだ。どうか中に入れて、その話に加わらせてくれ」と言ってきた。
 客人たちは、拍手喝采をして彼を招き入れた。彼は家の中に入り、アガトンとソクラテスの間に何も知らず座った。そして横を見るとソクラテスがいるのに驚いて「ソクラテス、こんな所にいらっしゃるとは驚きました。しかも主のアガトンのそばに座るなんてたいしたものですね」と言った。そこでソクラテスは、「アガトン、彼の行動には注意してくれよ。私に対する愛の嫉妬心から彼は何をしでかすかわからないからな。私が彼以外の人間に心遣(こころづか)いでも見せようものなら、私に対してさえ暴力さえふるいかねない人間だからね」と言った。すると、彼は、「今の言葉に対するお返しはいつかさせていただきますよ。言論ではでは万人を負かすあなたにはかないませんからね」と答えた。そして客人たちに向かって話を始めた。
 「君たち、もう酔っぱらってしまったのか。もっと飲まなければだめだ。今からこの会の座長を私にやらせてくれ。給仕よ。大きなさかずき、いやそこにある桶でいいからそれを持ってきてくれ」(それは、ふつうの大きなさかずきの8倍はあろうものであった。彼はそれに酒をなみなみとつがせ、そしてすべてを飲み干した。そしてその桶をソクラテスに渡した)
 「ソクラテスはすすめられればいくらでも飲みますよ。それでも酔っぱらうなど全くない人です」と言った。ソクラテスは、すぐさまそれを飲み干した。するとある客人がその酔客に「あなたはこの宴会を酒を飲むだけの会にするつもりですか」と聞いた。「いや、あなたの言うとおりにしますよ」とその酔客は答えた。そこで、先ほどの客人は、「君が来る前、我々は愛の神エロスに対する賛美を順番に述べてきた。だからまずは、君も愛の神についての賛辞を述べてくれ。そしてそれが済んだら、今度は君が新たな演題の題材を提供してくれ」と言った。それで酔客は「しかし、ぼくは酒をしこたま飲んでしまったから、君たちと同じようにうまく話ができるかどうか分からない。それと、今ソクラテスの演説がなされたと聞いたけど、その感想はどうだい。実は真実は彼の言ったこととは反対なんだよ。そしてもし、彼の面前で他の人間の演説をほめようものなら、彼は私に殴りかかってくるようなやつなんだ」と言った。そして会話と演説は始まった。
(ソクラテス)
「そんな話を聞くのはもうたくさんだ」
(酔客)
「心配無用ですよ、ソクラテス。あなたの前で他人はほめませんから」
(他の客人)
「それじゃあ、ソクラテスをほめたらどうだい」
(酔客)
「え、ソクラテスをですか。あなたは私に彼におそいかかって懲(こ)らしめてやれとでもいうのですか」
(ソクラテス)
「おい君、私をなぶりものにするためにほめるとでも言うつもりかい。どういうことなんだ」
(酔客)
「いえ、私は真実を語ろうと思っているのですが、果たしてあなたが許して下さるかと思って述べたのです。」
(ソクラテス)
「もちろん真実を語るなら、許すどころか、積極的にすすめるよ」
(酔客)
「それなら始めます。ただしソクラテス、私がもし真実でないことを話したら、どうぞ話をさえぎって「それは嘘だ」と言ってください。もちろん私は故意に嘘をつくようなことはしませんが、ただ思い出すままにあれこれと話をしますので、その点は了解しておいてください。それでは、ソクラテスについて語りましょう。皮肉を言ってからかうつもりなど毛頭ありません。彼を賛美したいのです。
 彼はかつて有名な彫刻家が彫った、笛吹の像にそっくりです。姿形もそうですが、それだけではありません。笛吹は口から奏(かな)でられる笛の音で人を魅了します。しかし、ソクラテスはその話で人を魅了します。その話がソクラテスあなた自身からなされようと、それを聞いた人が間接的に話そうと関係ありません。誰もがその話に心奪われるのです。雄弁家の話を聞くと、なるほどすばらしいと思うことはあっても、彼の話のように感動して涙することはありません。もちろん時には、心をかき乱され腹立つこともありました。自分はこんなことでいいのかと思わされることもありました。自分という人間がはずかしくなることさえもありました。
 私は、ソクラテスが命ずることをする必要はないと言うことができません。一方では私はあなたの近くにいたくありません。いっそあなたなどいなくなればいいと思うことさえあります。しかし、もしほんとうにそうなったら自分がどれほど悲しむかも私は分かっています。私はソクラテスに対してどのように接したらいいのか分かりません。
 もう一つ、ソクラテスがどのような魅力を持っているか聞いてほしいのです。みなさんは、本当の彼を知らないのだと思います。彼は、人のためになることは、どんなことも夢中で行います。知ったかぶりなど決してしません。自制心はひじょうに強く、世俗的な美やお金などには全く興味がありません。彼の実生活については、ほとんど他人に見せないですし、語らないのでその中身を私は知りません。しかし、彼の内面はすばらしく神々しいものであることを私は知っています。
 そこで、私は彼が望むことなら何でも実行するようになりました。そして私は、ソクラテスが自分の若さに惚れてくれて、何でも教えてくれるのだと信じました。ある時、私は彼と二人きりになりました。彼が私を特別に重要な人間として扱ってくれることを期待しました。しかし、彼の態度は普段と何一つ変わらなかったのです。それ以降も二人きりになった時、あの手この手を繰り出して、彼が私に特別な関心を抱くように試みたがだめでした。そこで、恋人を誘惑するように食事に誘い、その後も自分のところに留まるよう促したりいろいろと努力をしました。そしてある夜、給仕たちもいなくなり、ついに私とソクラテスは二人きりとなりました。そこで、私はソクラテスに「眠っているのですか」と聞きました。彼は「いや起きている」と答えました。私は彼に、「今、自分がどんなことを考えていると思いますか」と聞いてみました。すると彼は「分からない」と答えました。そこで私は、「ソクラテスは私が愛する唯一の人です。あなたも私に対して同じような感情を持ち、私に対してそのことを打ち明けるかどうか悩んでいるはずです。私があなたに求めているのは私をあなたが優秀な人間に導いてくれるからです。あなたの意に添うようにします」と言いました。するとソクラテスは「君は自分の美しさでもって私から真の美を得ようとしている。それはおかしいのではないか。青銅でもって金を得ようとたくらんでいるのと同じことではないか。第一ぼくは、価値ある人間などではないよ。真の価値を見抜く目は、肉体的な視力が落ちてからが鋭くなるものだよ。君はまだ若くそこにまでは至っていない」と答えました。「それではどのようにしたらいいのですか」と私は彼にせまりました。「それではそのことをこれから考えていこう。そしてそのとおりに行動しよう」と言いました。私はさらに彼にせまりましたが、やはり彼は私の若さなどには全く興味を示しませんでした。私は、彼に侮辱(ぶじょく)されたと感ずる一方、彼の自制心の強さにさらに引かれました。
 彼はお金には全く興味を示しません。一方、戦場での労苦に耐える力において彼にまさるものはいませんでした。酒はいつもおいしそうに飲むが泥酔(でいすい)したところは見たことがありません。寒さにもひじょうに強く、氷のような地面の上を平気で裸足で歩きます。ソクラテスは、一日中思索にふけり、翌日の日の出まで一か所に立ち続けたことがありました。一方、戦場では勇敢で、私を助け出してくれたこともありました。その時私は指揮官に、ソクラテスに感謝状を送るべきだと主張したほどでした。彼は戦場では、どんな不利な状況でも泰然自若(たいぜんじじゃく)としていました。ほかにもソクラテスについて語りだせばきりがありませんが、少なくとも彼ほどの人間を今も過去においても見つけることはできません。彼の話は最初は滑稽に聞こえ、笑わずにはいられませんが、じっくりと聞いているうちに、それはすばらしいものを内に持っていることが分かります。
 以上がソクラテスについての話ですが、ぼくのこの一途な思いを彼は受け入れようとはしてくれません。アガトン君、君も同じような目に合わないように気をつけたまえよ。」

     ソクラテスは、アガトンに「この酔客は酔っぱらってなどいない。ぼくとアガトンが仲良くなることが許せないらしい。彼には気をつけろよ」と告げた。アガトンも納得した。ちょうどその時、大勢の酔っ払いがこの家にやってきて、演説どころではなくなった。その後、多くのものは、寝てしまったがソクラテスとアガトンともう一人の別の客人はその後も飲みながら議論をしていた。そしてアガトンもついに眠りにつくと、ソクラテスは静かにそこを立ち去った。(以上)(30 6/6 追加)




                        

いかがだったでしょうか。これが『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』『饗宴』のすべてです。尚、これら4冊をまとめたものを、『プラトンの四大著書を1時間で読む』というタイトルでパブーの電子書籍で刊行しています。(パブーで検索して、そのトップ画面の検索欄に「プラトン」と入力したら、その中に出てきます)是非、活用してください。不明な点があれば下記をクリックしてご連絡願います。



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